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朝鮮人街道 2

近江八幡


作者 Hitosh




あきんどの里公園、八幡公民館





近江八幡の新町に入ると、古い町並みが残されている
その入口付近にあるのが、このあきんどの里公園で
奥は八幡公民館となっている

近江八幡は秀吉の甥・秀次が四国征伐の功により
近江20万石を与えられ八幡山に城を築いた時
その城下町として整備されたところだ

その後、秀次自害により、八幡城は廃城となったが
町はそのまま残され、近江商人の町として近世まで栄えて来た

その町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選定されている


(滋賀県近江八幡市)



京街道道標



道の角に、古い道標があった
左、京街道と彫られている

朝鮮人街道は、この辺では京街道と呼ばれていた

旧街道は城下町であるので、曲がりくねっていて、わかりにくくなっている
こんな道標が彼方此方にあった


(滋賀県近江八幡市)



旧伴家



市指定文化財の旧伴家住宅
江戸初期より活躍した八幡商人で、屋号は扇屋であった

明治になり当時の町に寄付され、小学校、役場、図書館として
利用されたが、現在は市の文化財として公開されている(有料)


(滋賀県近江八幡市)



新町旧家







2枚目の写真は森五郎兵衛邸で、3枚目は旧西川家住宅である

この西川家の建物は宝永3年(1706年)に改築されたもので
母屋を中心に茶室、座敷、そして見越しの松をあしらっており
国指定の重要文化財に指定されている


(滋賀県井近江八幡市)



新町町並







新町の町並みを抜け、八幡城に向かう
途中の見事な町並みである

この新町地区は、城下町が作られた頃
安土の城下より強制的にここに移されて来たので新町と言うとのこと


(滋賀県近江八幡市新町)



白雲閣




明治10年に建築された八幡小学校である

現在は市の多目的ホールとして展示会や企画展、イベント等に利用されている
また市街案内や、町なみ情報センターとして歴史、文化、観光等の情報を公開しいる


(滋賀県近江八幡市為心町)


八幡掘



豊臣秀次が、八万城を建築した際の堀で
幅員15m、全長6kmに及ぶ運河である

軍事的な目的の他、琵琶湖水運のため掘られたもので
その後の近江商人による町の発展に大きな役割を果たした堀だ

堀に沿って、今でも白壁の土蔵や旧家が建ち並んでいる

この堀に架かる白雲橋を渡り、八幡城に向かう


(滋賀県近江八幡市為心町)
0705/0802



略図

経路 青線部





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作者 Hitosh


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