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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 32

中津川駅〜45中津川宿〜間の宿・坂本〜広久手


作者 Hitosh



45中津川宿


中津川駅



新宿発7:00のスーパーあずさ1号に乗り
塩尻でワイドビューしなの6号に乗り換えた

中津川に着いたのが11:04であった

ここから旧中山道徒歩の旅の再開である
今回で22日目の旅である


(岐阜県中津川市)




四ツ目川




駅前の通りを400m程直進すると旧中山道と交差する

四ツ川に架かる、四ツ川橋である
中津川宿の木戸内は約1kmあるが
その中心はこの橋を渡ったところ(本町)である

写真右手奥はかつての脇本陣があったところで
今は中山道歴史資料館が建っている


(岐阜県中津川市本町)




中津川宿・庄屋屋敷



中津川宿の本陣跡の前に、中津川村の庄屋、肥田九郎兵衛が住んでいた屋敷
風格ある見事な卯建(うだつ)のある家である


(岐阜県中津川市)



中津川宿町並み





旧中山道に沿って、立派な卯建のある店が並んでいる
下の写真は慶長6年(1601年)創業の造り酒屋「間(はざま)酒造」である

中津川宿は本陣1、脇本陣1、旅籠29軒の大きな宿場であった
天保14年(1843年)で、総家数は228軒もあったという


(岐阜県中津川市本町)



中津川橋



中津川に架かる中津川橋を渡ると、中津川宿とお別れである
次の宿場は46番目の大井宿である

なお、中津川は江戸時代は川上川と呼ばれていた
広重の「中津川宿」に描かれた川である

木の橋が掛かっていたが、洪水のたびに流され
その度に架け替えていたとのこと

正面の緑の橋はJR中央本線で
右正面に見える山は、標高945mの高峰山である


(岐阜県中津川市)

間の宿・坂本


こでの木坂石仏群、双頭一身道祖神



石屋坂、そしてこでの木坂を登ったところの右側に
この石仏群がある

その中で、写真右側の「双頭一身道祖神」は此の辺では珍しく
市の文化財に指定されている

男女別々の顔を持ち、肩から足元にかけて一体となっている
不思議な感じの道祖神である


(岐阜県中津川市)


中津一里塚(上宿の一里塚)



さらに少し歩いたところに
中津一里塚(上宿の一里塚とも)がある
日本橋から数えて85番目の一里塚である

すでに85里(約340km)も歩いてきたことになる


(岐阜県中津川市上宿)

千旦林村・高札場跡






さらに進むと右手に千旦林村の高札場跡がある
上の写真は、後ろを振り返って撮影したものだ

近くに式内坂本神社八幡宮のあるところだ

後方の雪を被った山は恵那山(2191m)である


下の写真は進行方向の大井宿方面である
正面の山は笠置山(1128m)である


(岐阜県中津川市)



坂本立場跡



坂本立場跡である

古代には、此の辺を東山道が走っており
坂本は古代の東山道の駅のあったところである


(岐阜県中津川市)



茄子川の茶屋本陣




立派な常夜灯の後ろは茄子川の茶屋本陣跡(篠原家)である
角の石柱には「明治天皇茄子川御小休所附御膳水」と彫られている


(岐阜県中津川市)



広久手の溜池



この辺は溜池があちこちにある

湫(くて)は湿地帯を意味する言葉である
広久手(ひろくて)の地名は、そんな土地柄からきている

これから先、大湫(おおくて)、細久手、長久手と「くて」を含んだ地名が多く見られる


(岐阜県中津川市広久手)



岡瀬沢の常夜灯



岡瀬澤の常夜灯である
安永5年(1776年)に建てられたもの

右の石碑には「中山道 岡背澤」と彫られてある
ここは、恵那市となっている

いよいよ大井宿である


(岐阜県恵那市)

0701/0702

歩行略図

歩行距離 8.99km
(青線部を歩行)



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作者 Hitosh


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