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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 39

伏見〜今渡〜51太田宿


作者 Hitosh



伏見宿


旧旅籠



東京発6:36の新幹線で名古屋に行き
名鉄犬山線、広見線を乗り継いで、名鉄明智駅も着いたのが9:35であった

今回は、ここから旧中山道に復帰した

写真は伏見宿の生薬屋兼旅籠であった三吉家である


(岐阜県御嵩町)




上恵土神社



旧中山道の右側にある上恵土(かみえど)神社である
境内では、ゲートボールが行われていた

この神社の前の国道21号線の下が愛知用水となっているところだ

愛知用水は、木曽川から取水し知多半島までの水を確保するために
掘られた大規模な用水である

ここでは用水の上を国道が走っている


(岐阜県御嵩町上恵土)




川井集落



上恵土(かみえど)を過ぎると、可児(かに)市に入り、右側が開けてきた

川合地区で、木曽川が直ぐ側を流れているところだ
気のせいか、川の匂いがする

三留野宿の手前で木曽川と別れてから
久しぶりの再会となる


(岐阜県可児市川合)



今渡の渡し跡







木曽川べりの立場・今渡(いまわたり)である

ここから船で対岸の太田宿に渡ったところである

木曽川に掛かる太田橋(中写真)の袂には今渡の渡し場跡(下写真)があった


(岐阜県可児市今渡)


51太田宿


木曽川上流



太田橋より上流を見た写真である
手前の橋は、現在の中山道(国道21号線)の新太田橋で、その後ろにはJR太田線の鉄橋が見える

木曽川に飛騨川が流入し、水量も多く、川幅も広く
さらに水流が急で、早瀬も多かった

ここは、馬子唄にも謡われている様に
「木曾の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」
と中山道の三大難所の一つであった

現在も、歩行者に取っては、怖い難所である
橋が狭く歩道も無い上に
大型車を始め交通量が多かった

右の隅を対向車に気を付けて、恐る恐る歩くほか無い
東海道の天竜川もそうであったが
まさに現在も難所であった

また、ここから下流の犬山までが所謂日本ラインで
旧中山道は、この右岸を歩くことになる

因みに、日本ラインとは、ドイツのライン川の渓谷に似ていることから
大正3年に、地理学者志賀重昂が命名したとのこと


(岐阜県美濃加茂市御門町)



太田の渡し跡





此方が、反対側の太田の渡し跡である

雄大な木曽川を眺め、ここで休憩を取った
次は、中山道51番目の宿場、美濃の太田宿である


(岐阜県美濃加茂市御門町)



旧中山道





木曽川の右岸の、快適な道である
河川敷には釣堀が出来ていた

この辺に吉井の一里塚があったところだ


(岐阜県美濃加茂市島町)



51太田宿入口





木曽川の土手を下りたところが、51番目の宿場・太田宿の東の入口である

今でも、古い町並みが残されている

下写真の左の建物は祐泉寺である
境内には、ここで生まれた坪内逍遥や
芭蕉、北原白秋の句碑が建っている


(岐阜県美濃加茂市太田本町)


太田宿町並み







太田宿は本陣1、脇本陣1、旅籠20軒の宿場であった

中の写真は旧小松屋(旧吉田家住宅)で、今は太田宿案内所となっている
中に入り休憩した
太田宿の案内書や古い道具、資料が置いてある

上の写真の右手の建物は、ふれあい風土舎である
飲み物や地元で取れた野菜や土産品を売っていた

なお、このふれあいとは、嫁の良いところ、悪いところを言い合うところの意とか


下の写真の暖簾の掛かった家は古くからの呉服店永楽屋である


(岐阜県美濃加茂市太田本町)


太田宿脇本陣跡







見事な本卯達(うだつ)の上がった脇本陣(林家)である

母屋、質倉、借物倉、表門が
国の重要文化財に指定されている

林家は代々、太田村の庄屋で質屋、味噌醤油の販売を行い
尾張藩の勘定所御用達(ごうようたし)を務めていた


(岐阜県美濃加茂市大田本町)

太田宿本陣跡






脇本陣の少し先右側に本陣跡(福田家)がある
残念ながら、此方は門だけが残されている

上の写真は、本陣の福田家から、明治になった酒造権を
譲り受けた造り酒屋の御代桜醸造である

御代桜は、もともとは茶屋と酒類の販売をしていたとのこと


(岐阜県美濃加茂市太田本町)



太田宿西木戸





さらに進むと、旧街道は桝形となっており
その先が京方の木戸(西木戸)となる

桝形を出ると、左手に虚空蔵菩薩堂(弘法堂)がある
坪内逍遥の生家の近くにあり、小さい時、ここで良く遊んだという

背後は木曾川の堤防である

ここから次の52番目の宿場鵜沼宿に向かって
当分は、木曽川沿いの道を歩くことになる


(岐阜県美濃加茂市大田本町)
0702/0703



歩行略図

歩行距離 8.67km
(青線部を歩行)




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作者 Hitosh


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