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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 57

間の宿・鏡〜野洲


作者 Hitosh



近江八幡


住連坊首洗い池



武佐を抜け、近江八幡の千僧供町の集落に入ると、右手に
住連坊首洗い池があった

住連坊は、浄土宗の法然上人の若い弟子である
承元元年(1207年)、後鳥羽院政下の検非違使に捕縛され
ここで打ち首になった
その首を洗ったところである

所謂「承元の法難」である
この時、法然は土佐へ流罪となっている

比叡山延暦寺の既成の仏教勢力から
異端の徒として排斥されたことによる

ここの地名が、千僧供町とは、何か
謂れがありそうである


滋賀県近江八幡市千僧供町



八幡神社



馬渕町に入ると、右手に八幡神社がある

源義家が、奥州遠征の途中、武運長久を祈願して、造営したという

現在の本殿は、文禄5年(1596年)に再建されたもの
国の重要文化財に指定されている


滋賀県近江八幡市馬渕町



東横関、田圃と集落





広大な田園地帯を抜け、東横関の集落に入ると
前方より大勢の歩行者がやってきた

日本ウォーキング協会主催の
「古道・東山道千キロ、ビッグウォーク」のメンバーである

今回は比叡山から信濃比叡山まで260kmを9日間で歩くという
参加者は50名くらいであった

大きな幟を立てた歩行者の群れに、此方が気恥ずかしくなるくらいであった
なお、参加費は12万円で、体力、気力があれば、誰でも参加出来るとのことあった


(滋賀県近江八幡市東横関町)


間の宿・鏡


日野川舟渡し







日野川の舟渡し跡である
当時は、舟2艘に板を渡して橋としていたとのこと

今は舟渡しは無いので、上流を大きく迂回して
横関橋を渡り、対岸に行った

この日野川を渡ると、近江八幡から竜王町となる
此の辺も実に広々として、気持ちの良いところであった


(滋賀県竜王町)



鏡集落、本陣跡







やがて、鏡の集落に入る
江戸時代は中山道の間の宿であったが、それ以前はここが宿場(東山道)であった

今でも、近江特有のベンガラ塗りの家や塀が多く見られるところである

3枚目の写真は説明板には「本陣跡」とあるが
江戸時代では正しくは「本陣茶屋」であろう

江戸時代は、決められた宿場以外での宿泊は禁止されていたからである


(滋賀県竜王町鏡)



鏡神社





鏡神社の祭神は新羅の王子、天日槍命(あめのひぼこのみこと)と伝えられている
須恵器の技術者集団を連れて渡来し、この地で亡くなったとのこと

近くに須恵器の鏡山古窯跡群が残されている

さらに進むと、右手に義経元服の地碑がある
牛若丸が、金売り吉次と東国に下る途中
ここで元服し、源義経となったところだ


(滋賀県竜王町鏡)


野洲


東池





野洲市にjはいると、この辺には大きな溜池が、多数ある
写真はその一つ、中山道に沿った東池である

写真の右手の堰堤が篠原堤と呼ばれているものである
中山道は、この堤の右(北側)を通っている

この池の左手あるのが電子部品の雄、村田製作所である

上の写真は路傍の石仏で、近江独特の形をしたものだ

今回はこの先の篠原堤沿いのバス停より、バスに乗り
今夜の宿泊地、野洲駅に向かった


(滋賀県野洲市)



JR野洲駅前






JR野洲駅前である
東海道本線(琵琶湖線)の駅で、下の写真はホテルの窓から撮ったものだ

夜、列車の通過音が煩かった


0705/0707


歩行略図

歩行距離 8.13km
(青線部を歩行)




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作者 Hitosh


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