秋 田


秋田城址|男鹿・入道崎

作者 Hitosh




秋田城址



秋田と言うと、千秋公園の久保田城が有名である
佐竹氏の居城だ

しかし、この秋田城址はそれ以前の奈良時代に
北辺守備と出羽の国開拓のために築かれたもの
当時は「出羽柵」と呼ばれ、国府が置かれていた

大陸の渤海国との交易拠点としても有名であった

760年頃より秋田城と呼ばれるようになった由
古代の政治・軍事・文化の中心地であった

そんな面影を求めてみた
手前の杭は、政庁の跡で、遠方の建物は
秋田城の外郭東門である



(秋田県秋田市寺内 秋田城址外郭東門)
0407/0807




男鹿・入道崎



日本海に突き出した男鹿半島の最先端が
入道崎である
海岸段丘が見事に発達している所だ

男鹿国定公園に指定されている


(秋田県男鹿市 男鹿半島入道崎)
6708/0405







男鹿半島の入道崎先端の磯である

海岸段丘が良く発達した男鹿半島は
段丘から磯を覗くことが出来る

穏やかで綺麗な海であった



秋田県男鹿市 男鹿半島)
6708/0407





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作者 Hitosh

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