埼 玉
幸手・権現堂堤|さきたま古墳|松山城址|秩父山地|荒川中流|コスモス畑
利根川支流の権現堂川のこの堤は、天正4年(1576年)頃に築かれた
それまでは、暴れ川として知られていた
宝永元年(1704年)、この堤が切れた時も
その被害は江戸にまで及び、大江戸八百八町の半ばが水浸しになったという
この堤にサクラが植えられたのは、大正9年で
延長6kmに約3000本のソメイヨシノが植えられ
関東のサクラの名所として一躍有名になったという
土手の下の氾濫原には菜の花が植えられていて
サクラと菜の花の対比が見事な所となっている
なお地名は、村の中に熊野権現社、若宮権現社、白山権現社を合祀した
旧い神社があったことから、権現堂村という名になった様だ
(埼玉県幸手市権現堂)
0904/0904
埼玉古墳群の一つ、瓦塚古墳(上の写真)である
紅葉した古木と古墳が、秋の陽を浴び見事であった
下の写真はさきたま古墳公園の一隅にあった
見事な樹木である
左後方の小高く見える丘は
前方後円墳の「稲荷山古墳」の一部である
(埼玉県行田市 さきたま古墳群)
0311/0801
埼玉県の古城跡の紅葉である
落ち葉で敷き詰められた、滑りやすい急な涸沢を登った所だ
小さな石碑に「本丸跡」とあった
見事なほどに、落ち葉で厚く覆われている
明治維新の時、建物は全て壊されたが、土塁は一部残されていた
小春日和の穏やかな日であったが、訪れる人は誰もいなかった
(埼玉県東松山市 松山城跡本丸跡)
0312/0812
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