富士山頂
Mt.Fuji 3776m


本八合目より太平洋方面
  標高3360m、本八合目の山小屋「富士山ホテル」で、リュックを置き、カレーライスと一杯のお茶だけの夕飯を済ませた後、表に出て撮った写真である。
 一面が雲海となっていて、夕陽を浴び見事に眼下に展開していた。雲海に映る影富士も見事であった。夢中で写真を撮っていたら、寒さでふるえが来たので、やばいと思い小屋に戻った。
 小屋で飲み直すにも、場所が無かった。二段式のベッドは座ることが出来ないほど、高さが低かった。頭がつかえてしまうのである。あきらめて、横になった。二枚の布団に5人寝と言う窮屈さである。 当然、寝返りは打てず、ただじっと横になったままである。
ご来光
  
夜中の2時頃、起床。そのまま、出発である。朝飯は弁当が配給された。高山のせいか、頭が痛かった。それに殆ど、昨夜は眠れなかった。窮屈な上、冷え切った布団が体温で暖められ、気持ち悪いほど暑く感じた。
  殆ど、夢遊病者のような感じであった。このままでは、やばいと思い、九合目の山小屋で、味噌汁を呑んだ。一杯500円の味噌汁であったが、旨かった。生き返った気がした。
  昨夕の、カレーとお茶以来、始めて口にしたものである。気が付くと、登山道の、山側には多くの人が、うずくまるようにして休んでいた。ばてた人なのであろう。
赤富士
  頂上の真下で、ご来光を待った。丁度、新宿の高層ビルの処から日が登ってきた。神々しい朝、そんな感じであった。今までの苦労が吹き飛ぶ一瞬でもあった。
  その朝日を浴び、富士の肌は見事なほど、赤く輝いた。関東平野を遠く那須連峰までが見えた。天気にも恵まれ、それこそ至福の時であった。
  ここから、ひと登りで、頂上の火口についた。剣が峰のドームや火口の「虎岩」が目の前に見えた。火口には未だ、雪が残
っていた。
富士火口と虎岩
  頂上で、小屋で作ってもらった、朝飯を食べた。殆ど凍った状態で、口の中で溶かして食べる感じであった。弁当のおかずであるレトルト食品のビーフシチュウは、寒さで煮こごり状態となっていた。
 セーターを着て、その上にレインコートを着ていたが、それでも寒く、朝飯もそこそこに、下山開始した。
頂上より丹沢方面
  富士頂上の大日岳より、丹沢方面を見た写真である。早朝の見事な絶景である。ここから下山道を下る。嫌になるほど、延々とした、単調な下りである。一気に駆け下りていく人も多いが、膝が痛くなり、杖を頼りの、悪戦苦闘となった。
下山道、お花畑付近
  
この辺から、ガスがかかってきて、7合目当たりから雨が降ってきた。6合目からは、大降りである。頂上はあれほど天気が良かったが、下界は雨、そんな感じである。
  2時頃、無事五合目に到着。もうへとへとであった。店で暖かいラーメンを食べて、バスに乗った。スバルラインの入口付近の駐車場の自分の車に着いたときは、それこそほっとした。びしょびしょの雨具や、リュックを車のトランクに入れ、そのまま帰宅した。
  思えば、長い2日間であった。


ルート
中央道 河口湖インター 50分

スバルライン5合目(2304m)〜六合目雲海荘(2390m)〜七合目(2900m)〜本八合目(3360m)
〜富士山ホテル(泊)〜久須志神社(3710m)
〜下山道〜五合目 

歩行 9.5時間

駐車場
五合目 無料 
但し夏場は富士スバルラインが
通行止めのため麓でバスに乗り換え

休憩所
 多数、トイレ 有料

9608/0011
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Hitosh

はじめての登山、富士山


準備
 何を血迷ったか、山なんぞ登ったことが無い二人が銀婚式を記念しての富士登山を考えた。今まで、車とロープウエーでしか山なんか登った事が無く、当然山の道具なんて何一つ持っていない。

 それから初心者向けの登山の本を何冊か買い込み、それを参考に準備を始めた。近くのスーパーで、早速買ったのが、軽登山靴とナップザックである。そして、最初にトレーニングのつもりで、向かったのが丹沢の塔の岳であった。

 行けるところまでいければ良いという気持ちではあったが、それにしても今思うと何とも無謀であった。雨の降りやすい丹沢で、レインコートも防寒具も、もちろんヘッドランプも用意なんかしていない。その上靴も新品で、おまけに塔の岳は決して初心者コースとはいえない。登りの標高差が1200mもあり、登りだけで3時間20分もある。

 5月の連休に、車に乗って丹沢,、塔の岳の登山口である大倉まで着いたら、ものすごい雨となった。様子を見ていたら、本格的な登山の格好をしてセパレートタイプの派手な雨具を着込んだ3人連れが、それこそ完全武装で登山開始したのである。それに対し、我々はゴルフ用のレインコ−トと、妻は子供のポンチョ式レインコ−トという出で立ちであった。

 結局、車から降りることも無く登山中止。そして、すぐナイロン製のレインコート(これも後でゴアテックスのものに買い換える羽目になった)と、一度も使ってないナップザックを、アタックザックに買い換えた。それも45Lから55Lまで可変式の大きなザックであった。そして、これもまた後で買い換える羽目になった。買った当初はこれで十分と思っていた。杖も買った。

 山と渓谷誌のおまけに付いていたガイドをみて、富士山本八合目の富士山ホテルに電話で予約を入れた。そして、新しい靴を履いて、人目を気にしながらであったが、近所の横浜四季の森公園で2時間ほどの足慣らしを行った。さあこれで準備は万全である。後はその日を待つばかりになった。
 
登山開始
 予定の8月、朝5時に横浜の家を出て、河口湖のスバルライン入り口へ向かった。夏期はマイカー規制中のため、入り口の大駐車場で車をおりバスに乗り換えた。始めて背負う45Lのリュックはさすがにずっしりと重かった。5合目に着いたのは朝の8時半であった。いよいよ銀婚式を記念しての登山開始である。

 今思えば、我々夫婦は新婚旅行も無謀であった。1ドル360円の時に東南アジアにむかい、インドネシアではカービン銃を持った警官に尋問された。言葉もしゃべれないのに、しかもはじめての海外旅行であった。そして今回の富士登山である。まあ、何とかなるだろうの気持ちであった。 

 5合目から、広い道を6合目に向かう。ほぼ平坦な道であるが、始めて背負うリュックはずっしりと肩にのしかかる感じであった。左に佐藤小屋への分岐を見送り、泉ヶ滝より6合目に向かう。途中暑くなり、着ていた長袖を脱いでTシャツだけになった。そして、はじめての小休止をとった。栄養補給と言うことで飴を一つしゃぶった。黒砂糖の飴で旨かったが、これを舐めたままでの登山は、息がうまくできないせいか、苦しかった。山で飴をなめながらの登山は良くないと思った。
 
 6合目から、7合目まではだらだら坂の登りである。適当に汗をかき、なんとか登り詰め、ここでまた休憩をとった。ここからは、階段状の急登となっている。今までの元気は吹き飛んで、まず女房が大きく遅れだした。7合目をすぐ回ったところで、昼飯にし、大休止をとった。疲れがひどく、休憩せざるを得ない状況でもあった。昼食は、持参したパンと水であった。

 約1時間の休憩の後、8合目に向かって、溶岩で出来た階段状の急坂をそれこそ1歩1歩確認する様にして登った。20分くらい登っては休憩という体たらくであった。3時を回ってやっと8合目に着いた。予定の小屋は本八合目(3360m)である。女房の足がさらに遅くなった。ゆっくり歩くと、かえって疲れるので、なるべく自分のペースを守るようにして歩いた。まだかまだかと思いながら、何軒かの山小屋をやり過ごしている内に、溶岩の急な階段を登り切ったところが、予約してあった山小屋、富士山ホテルであった。

山小屋
 女房の到着を待ってチェックインする。一人2食付きで7000円の前払いをすると、食事の時間が5時といわれる。そして案内されたのが2階建てベットである。まだ早いせいか、空いていたが奥より詰めてくれと言われ、2枚の布団に5人寝と言われる。

 夕食はカレーライスと一杯のお茶のみであった。持参したビールが救いであった。あとで、飲み直そうとしたが、ベットでは天井が低いため、座ることもできず結局あきらめた。まだ表は明るいので、カメラをもって表に出る。女房は疲れたと言って、そのままベットインした。

 夕陽に輝いて、雲海が見事に眼下に広がっていた。ちょっとの間に、すっかり下界は雲に隠れてしまった。下から見れば8合目以上は雲の中で見えないことになる。富士がその姿のすべてを露にすることは希である。独立峰故の宿命を感じた。上から見るとその雲は見事な雲海となって、眼下に広がっている。そして夕陽に照らされ、奥行きのある、陰影を見せている。すこし、登ってみると、この雲海に見事な逆さ富士が眼下に広がって見えてきた。壮大な景色である。思わずカメラのシャッターを夢中で切った。

 壮大な景色に見とれていると、思わずぶるっときた。真夏と言うのに寒さで震えがきたのである。本八合目は標高3360mである。地上より25度は低い計算になる。あわてて小屋に戻った。そして飲みなおす場所もないので、仕方なくそのままベットインした。

 ここからまた別の地獄が始まった。右となりは女房であるからまだしも、左隣はよそのおばさんである。腕を布団の上に出したら、もう手を戻すことが出来ない位、隙間が無い。身動き一つ出来ないのである。

 そして、さらに困ったことは、最初は寒かったが冷えた布団が体温で暖まってくると、今度は暑くて眠れないのである。高度のせいで頭は痛くなるし、暑くてどうしょうもないが、布団をどかすわけにも行かないのである。しかたないので、着ていたチョッキを脱ぎ、次はズボンも脱ぎたくなったが、両となりが女性であるのでそうも行かず、ただじっと身動きせずにすぐ目の前にある天井とにらめっこという具合である。そのうち、家内がとうとう頭にきて、むっくり起き出すと、頭と足を逆にして布団に入った。すると、肩のところに余裕が出来、少しは体を動かすことが出来るようになった。

 小屋の側の登山道は、夜通し人の歩く音でうるさかったそうだが、うとうとしていたせいか気にはならかった。夜中の2時、ランプの火が灯され、皆が起き出した。ご来光をめざして、真っ暗の内に登山開始である。朝飯は、弁当であった。それをリュックにいれ、我々も出発した。真夜中である。足下は、ヘッドランプの明かりだけが頼りであった。

二日目
 寒いため、セーターの上に上下のレインコートを着込んでの登山開始であった。ところが、よく眠れなかったのと、高山のせいか頭が痛くなり、その上目が覚めてから、水一滴も口に含んでいない状態であったためか、最初からばて気味であった。足が前に行かないのである。20歩位歩いては、体全体で呼吸をし、また20歩位歩くといった感じである。それこそ、1,2,3と一歩一歩数えながらの登山となった。

 九合目の山小屋で、500円を出して暖かい味噌汁を、女房と二人で飲んだ。こんなにうまい味噌汁は生まれて始めてであった。生き返った感じがした。考えてみたら、昨夕のカレーライス以来何も口にしていないのである。元気を取り戻し、また登山開始である。今度は、少し余裕が出てきて、周囲の様子が見えてきた。がれきの道の山側には、うずくまるようにしている人が大勢いた。みな休憩をとっているのか、ばてて寝込んでいる感じであった。

 何かの本で読んだことがあったが、富士登山を志し、無事登頂出来る人は90%で残りの10%が途中ダウンとのこと、よくわかる気がする。我々も、あの味噌汁一杯で生き返った心地がしたものだ。

 しかし空気が薄いのと、寝不足で、ふらふらの状態で、最後の鳥居をくぐった。この辺になると、10歩いては、小休止の繰り返しであった。東の空が明るくなった。疲れもあったが頂上が混んでいるので、頂上の少し下で日の出を待つことにした。朝6時、見事なご来光が、丁度新宿の高層ビルの所から顔を出した。見事な光景である。思わず疲れが吹っ飛ぶ瞬間であった。夢中で写真を撮った。

 その後、最後の一登りで頂上に立った。頂上の浅間神社の前はすごい人混みであった。富士銀座とは良く言ったものだ。頂上の小屋から歌謡曲が流れているのは興ざめであった。火口に向かい、剣が峰や火口の写真を撮っていたら、ベンチが空いてきたのでそこに座り、山小屋で作ってもらった弁当を出した。しかし、飯は凍っているようであった。おかずは袋に入ったレトルト食品(ビーフシチュー)であった。こんな冷えた食事は始めてであったが、口の中で溶かしながら食べた。あまりの寒さに、弁当を食うといたたまれず、すぐ下山開始をした。

下山

 朝のまだ7時前であった。9合目までは、登りと同じ道を下った。調子の良いもので、「ご苦労さん、もう少しですよ」なんて、登ってくる人に声をかける余裕が出てきたのである。いい気なもんだ。しかし、9合目から下り専用の道に入る頃から、今度は、右膝が痛くなってきた。以前に、テニスをやっていて、痛めた右膝がまた、痛み出した。それからが、また悲劇になった。1歩1歩が、地獄である。杖をたよりにしての下山であったが、どうしょうもないほどの痛みであった。

 下を見ると、下山道は気の遠くなるほどはるか下まで続いている。歩けど歩けどまだ先は長い。高度計はまだ3300m以上を指している。杖にすがって、そろりそろりの下山であるから、多くの人に追い越された。本来なら、走るように、滑るように下れる下山道なのであるが、その火山灰と火山石の不安定な足下と急坂が膝にくる。女房もダウン気味で、とうとう一眠りしたいと言い出す始末であった。

 仕方ないので、お花畑の近くで、大休止をとることにした。女房は、持ってきたシートを敷いて、横になったのである。こちらは、カメラを構えて、お花畑や下山道の写真を撮っていたが、物憂くなって、石に座り、そのまま1時間ほどうとうとした。まだ、頭痛は取れず、ひざのの痛みも取れなかったが、女房が目を覚ました所で再び下山開始した。

 一眠りした、女房は元気になったが、こちらは膝が痛く、もう死にものぐるいの下山であった。やっと、7合目が見えてきた頃、空が暗くなり、大粒の雨が降ってきた。レインコートを出し、着込んだが、すごい雨となった。雨の中を、黙々と歩く様は、もうみじめというほか無かった。

 さすが、7合目に到着すると、ほっとした。やっと先が見えてきたという感じがした。また、この辺から、あれほど痛かった膝の痛みが軽減した。下りの勾配が緩くなったせいか、疲れはあるが、激痛は感じなくなった。

 足を引きずるようにして、6合目まで戻った。あたりはすっかり暗くなり、雨足はますますひどくなってきた。ここから、歩きやすい坂道となったので、一気に5合目まで向かった。へとへとであったが、無事5合目に付いたときは、やったと言う感じより、やっとたどり着いたという感じであった。午後の2時であった。雨はますますひどくなっていた。

 5合目で、とにかく暖かいものを食べようと言うことで、近くの店に入り、ラーメーを頼んだ。生き返った気がした。今までの、あの苦行はなんなんだと言う感じである。バスに乗って、少しうとうとしたら、麓に付いた。ここで、マイカーに乗換え、無事帰宅した。あれほどの土砂降りも、麓では、日が指すほどの天気であった。


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