紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 551
二戸市・金田一川口〜釜石上野平


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二戸市


海上川/川口橋

金田一川口のバス停前を通ると、馬淵川支流である海上川に架かる川口橋を渡る。

写真は、川口橋より下流を見た写真だ。
この先で馬淵川に合流しているところである。

海上川は、岩手県二戸市斗米と青森県田子町との境界にある
黒森(727m)地区を源流とする川だ。



釜沢分岐

旧街道はここで、右の釜沢方面となる。
長かった二戸市の金田一地区から釜沢地区に入る。

釜沢地区は、岩手県の北端で、青森県三戸町と接している地域だ。
中世には、釜沢城のあった処である。

九戸政実の戦い(1591年)の時、城主であった小笠原淡路守重清は、
当時三戸城主であった南部信直に、九戸城落城後に攻められ落城となった。



釜沢・旧奥州街道標識

左側に旧奥州街道の標識があった。
正面の山裾には、釜沢用水の説明板があった。

釜沢用水は、天正年間(1573〜91年)、領主の小笠原伊勢守信浄が、
開田を目的として掘削されたといわれており、現在も約33Haの水田に利用されている。



別当屋敷の墓標

さらに進むと、左側に古い石塔と共に、
「別当屋敷之墓」と刻まれた未だ新しい墓標が建っていた。

別当氏というと、祖先は律令制の宮司の長官であったのだろうか。

前方の山並みは、岩手県と青森県境で、蓑ヶ坂峠のあるところだ。
長かった、岩手県から青森県に変るところである。



名久井岳遠望

右前方に、独特な山容の名久井岳(615m)が見えてきた。

名久井岳は、青森県南部町と岩手県三戸町に跨る山で、
外観は単峰のように見えるが、いくつかの山塊が集まった起伏山地で、
岩手県を南北に連なる北上山地の北方にある名久井山地に属している。

山頂から半径2kmとその周辺は青森県立自然公園に指定されている。
古くから、霊峰山として信仰の対象となっていた山である。


(二戸市金田一字川口 釜沢上野平 道ノ上)
1205/1306

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歩行略図
金田一温泉駅〜青森県境〜三戸宿



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