紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 585
五戸町・倉石石沢〜古街道長根


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五戸町


倉石石沢、名残の松

旧街道の坂道を下って行くと、左側に一際目立つ松ノ木があった。
左側からの道と合流する形になっている。

松ノ木の根元に石造の古い道標と、木製の案内標識が設けられてあった。
木製の道標には奥州街道、そして左は槍沢(うつぎさわ)と書かれてあった。


倉石石沢追分石
  石造の道標には、「右 槍澤」と刻まれてあった。左側面には「御大典記念」と刻まれてあった。天皇の即位を記念して造られた石碑のようだ。


丁字路、ひよどり坂へ

旧街道は、ここで町道に合流する。
左は「しだれ桜の里 うつきさわ(槍沢)」と書かれてあった。

この枝垂れ桜は、五戸町倉石石沢字槍沢にある樹齢百余年、
高さ10mで、ドームのような大きな枝振りが特徴とのことであった。

旧奥州街道は、右側の道で、下り道となる。
この先の坂はひよどり坂と言うようだ。



塚無岱、りんご畑

ひよどり坂の左側にある広々としたりんご畑。
歴史のあるりんご畑と見え、相当の古木も散見された。

この辺の地名は塚無岱(つかなしたい)と言うようだ。
変った地名なので調べてみたが、わからなかった。

岱(たい、泰山とも)は中国の山名、聖なる山で、岱宗の信仰もある。
また、大きな山を意味する字でもある。

塚は、もともとは小高く盛った墓(土饅頭)のことであるので、
組み合わせて墓の無い大きな山・・・・?

なお、近くに縄文時代の塚無岱遺跡もあるので、関係あるのであろうか。

次いで、坂を少し下がった所の地名が、
五戸町字治郎左ェ門長根(じろうざえもんながね)となる。

この謂れも分からなかった。
かつての長者(地主)の名前から来ているのであろうか。


ひよどり坂道標
  坂を更に下ると、途中左側に「ひよどり坂」と書かれた道標があった。左は奥州街道と書いてある。
  この辺の地名は五戸町字古街道長根(ながね)となっている。この地名は素直に、なるほどと、一人合点した。

(五戸町 倉石石沢 塚無岱 治郎左ェ門長根 古街道長根))
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