旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 26
陸奥・白坂宿〜泉岡交差点
Hitosh
26白坂宿入口 |
境の明神峠を越え、峠道を下って行くと、左側に馬頭観音等の石仏群があった。 やがて、陸奥国最初の宿場で、奥州街道26番目の宿場・白坂宿が見えてきた。 白坂宿は幕府管轄である奥州道中の最後の宿場でもあった。 |
白坂宿中心部 |
白坂宿の中心部(現泉岡)である。右の家の表札は「かめや」となっている。 かつての旅籠「かめや」である。 この家の街道を挟んで反対側に白坂宿の本陣、問屋を務めた白坂周右衛門の 家があったというが、今はその面影は無かった。 天正18年(1590年)、秀吉が伊達政宗に小田原から会津への街道の 整備をさせた時に、芦野宿と白河宿の間が長すぎるので、 ここ白坂(泉岡)を宿駅としたのが始まりである。 天正18年は、秀吉が小田原を攻略した年であった。 江戸時代も宿場として整備され、文化年間(1804〜1818年)には 家屋数は66軒であった。 |
観音寺 |
街道左手にあるのが、夕日堂で知られた観音寺である。 永応15年(1408年)、円順和尚によって開山と伝えられている寺だ。 丁度夕日が傾き、完全な逆光であった。 |
境内には、酒井元之丞戦士之跡碑がある。戊辰戦争、白坂天王山の戦いで、 大垣藩銃隊長・酒井元之丞重寛が自軍の先頭に立ち、指揮をとっていたが、 敵の銃弾を胸に受け死亡したという。 大垣藩の瀬口光忠、松岡惣兵衛と共にここに葬られている。 また、本陣を務めた庄屋・白坂家の菩提寺となっている。 |
白坂泉岡交差点 |
白坂の交差点で、左に行くとJR白坂駅で、右は表郷(県道388号)である 表郷から棚倉街道(国道289号)に合流している。 当初の予定では、ここで左折して白坂駅に向かう予定であったが、 未だ日が高いので直進する。 |
(福島県白河市白坂泉岡) 0905/0908 |
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