紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 395
黒沢尻宿本通り〜諏訪神社
Hitosh
黒沢尻・本通り 街道左側に「新町のおこり」と書かれた説明板が建っていた。 この辺は、江戸時代中頃の貞享3年(1685年)、本町に接して奥州街道沿いに造られた町だ。新田町ともいわれ、伝馬、人夫の負担、市の開設等宿駅の機能を本町と分担していた。 新町の三浦屋が脇本陣を務めていた。 |
諏訪町アーケード |
右側にあるPIA諏訪町アーケード。 諏訪神社の門前町である。 このPIAは、Pはpleasurable、Iはinteresting、Aはavenueとのことだ。 楽しく面白い通りとでも訳すのであろうか。 |
諏訪神社 |
諏訪町アーケードから諏訪神社に参拝する。 諏訪神社は、開発の守護神である建御名方神(たけみなかたのかみ)を 祭神として、坂上田村麻呂により勧請されたと伝えられている古社である。 享保19年(1734年)、本宮の地(北上市幸町)から現在地に移り、 南部藩から領地を与えられ近郷の総鎮守となっている。 川岸剣舞は、前九年の役で滅んだ黒沢尻五郎正任の亡魂を鎮めるために 踊ったのを始まりとする悪魔退散の諏訪神社の神事であった。 |
芭蕉句碑 諏訪神社境内にある芭蕉句碑(左端)。「 初時雨 雨猿も小蓑を ほしけ也 」と書かれている。 黒沢尻の俳人グループ「玄皐連(げんこうれん)」が天明元年(1781年)に建てたものだ。 |
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北上線踏切 街道に復帰して、北上するとJR北上線の踏み切りを渡る。この辺が、黒沢尻宿の出口付近であった。 北上線は、北上駅と秋田県横手駅を結ぶ全長61kmのJRの鉄道路線である。電化はされておらず全線気動車によるワンマン運転を行なっている。 |
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