紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 451
盛岡・上田〜高松
Hitosh
JR山田線・上田踏切 |
正面にJR山田線の上田踏切が見えてきた。 山田線は盛岡駅と宮古駅を経由して釜石までを結ぶ路線である。 学生時代には、この線を使って宮古まで行ったことがあるが、 今は盛岡ー宮古を結ぶ列車は、一日4往復と本数が少ない。 利用者の多くは、ほぼ1時間に1本ある、 盛岡駅前と宮古駅前を結ぶ、直通のバスを利用しているようだ。 この踏切の右側には上盛岡駅がある。 大正12年に開業した駅で、盛岡駅までは2.8kmである。 |
旧奥州街道・上田 |
JR山田線の上田踏切を渡ると上田地区に入る。 藩政時代は、岩手郡上田村と言い、「上田通り」31村の内に組み込まれ、 上田通り代官所の所管下にあった。 街道の左側には岩手大学がある。 ここの工学部を卒業した、かつての部下を思い出した。 ちゃかっりと、学生時代に花嫁を決めていて、入社してすぐに結婚している。 盛岡は石川啄木や宮沢賢治ではないが、若人にとって住みやすい街のようだ。 |
正覚寺 正しくは浄土宗十功山正覚寺(じっこうさんしょうがくじ)。南部藩足軽たちの檀家であった。 浅田次郎の小説「壬生義士伝」で、下級武士であった主人公・吉村貴一郎が、のちの妻となるしづと初めて出会った場所である。 |
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NHK前交差点 上田を真っ直ぐ進んでくると、変則の交差点となる。NHK前交差点となっている。 旧街道は、このまま真っ直ぐ北上である。この交差点を左折したところに岩手大学の工学部がある。 |
高松の池 |
NHK前交差点を渡ると街道右側にある高松ノ池。 慶長3年(1598年)、盛岡築城の時、治水のために、この辺一帯の沢に 上堤、中堤、下堤の三段の堤防が設けられ、当時は上田堤と呼ばれていた。 その中で最も大きかった中堤が、現在の高松ノ池となっている。 満水時面積は10.5ヘクタールである。 上田堤付近は南部公の鷹狩りの場で、 見事な松林があったため高松の池と呼ばれるようになったとのことだ。 現在は盛岡市立公園として整備されている。 ソメイヨシノや枝垂れ桜が約1000本植えられており、 日本の桜の名所100選に選ばれている。 また、白鳥の飛来地としても知られ、 冬のピーク時には600羽を越える白鳥が飛来するとのこと。 なお、左の建物は盛岡女子高校である。 |
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