紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 450
盛岡城下・上の橋〜本町通


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盛岡城下


中津川上流側

上の橋から中津川上流を見た写真である。

中津川は北上山地を源流とする川で、
盛岡市内を縦貫し北上川に合流している一級河川だ。

夏はアユが踊り、秋にはサケが遡上・産卵、そして冬は白鳥が一冬を過ごす清流である。



四ッ屋惣門跡

中津川に架かる上の橋を渡ると本町通に入る。
京都から移住した豪商達が住み着いたという元京町があったという。

この道路の左側は県庁や岩手医科大学のあるところで、
かつての盛岡藩の重臣屋敷のあった処である。

本町通を西に進んでくると、正面に四ッ屋教会がある(写真中央左)。

四ッ屋教会は、明治11年にパリ外国宣教会の司祭が、東京築地教会から派遣され、
鍛冶町に仮聖堂を建てたのが始まりで、明治13年に現在地に移転している。

この四ッ屋は、かつて盛岡城下の北の出口、四ッ屋惣門のあった処である。


本町通枡形
  四ッ屋教会のところで、旧街道は右折し北に向かい、ここ本町通2丁目の交差点で左折し、再び西に向かうことになる。
  盛岡城下の北の枡形のあった処である。


大智田中地蔵尊

本町通2丁目の枡形を抜けるとすぐ左側に大智田中地蔵尊がある。

この地蔵尊は4代盛岡藩主南部重信夫人於俊の方の菩提を弔う為に、
嫡子であった5代行信が元禄7年(1694年)に、荼毘跡(東禅寺門前)に建立したもの。

於俊の戒名「大智院殿心月妙院大師」から大智を、
火葬地の地名から田中をとって「大智田中地蔵尊」と名付けられた。

大正元年に現在地に遷座された。
以来、田中の地蔵さん、四ッ屋の地蔵さんと呼ばれている。

大智田中地蔵尊
  地蔵尊は花崗岩の巨石を丸彫りにした、像高は1.58mと大きなもので、盛岡市の有形文化財に指定されている。

(岩手県盛岡市本町通)
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