紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 453
盛岡・緑が丘〜岩脇町


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盛岡市

岩手師範寮歌碑
  高松から緑が丘に入ると、左側盛岡三高の前に、岩手師範寮歌碑がある。
  岩出師範学校は、明治9年設立の盛岡師範学校を起源とし、昭和18年にここに智設立された。その後、岩手大学学芸学部(現教育学部)に吸収さている。 
岩手師範学校の跡地にある岩手師範寮歌碑には、
  
   いわて北麓巌鷲霊峰の    
   舎窓に仰ぐその雄姿
   千頃ここに孕まれて  
   杜陵の曠野に培わる
   強き黙示の健児あり
   強き黙示の健児あり
   学びの寮舎甍は高し

と格調高い歌詞が刻まれてあった。

ここで街道歩きを中断して、この近くにあり、
若い時に何度か泊まったことのある親戚の家を尋ねてみた。

しかし、世話になった親戚の夫妻は疾うに亡くなり、独りいた娘さんは嫁いでいる。
その家がどうなっているか、小一時間ほど付近を捜してみたが、
当時の面影は無く、結局分らなかった。



上田一里塚

街道に復帰すると、左側に上田一里塚(旧米内村大字上田、現盛岡市緑が丘)がある。
往時の面影を留めた一里塚跡で、岩手県の指定聖跡に指定されている。

右側(東側)の一里塚は道路拡張で消失しているが、
左側は、旧盛岡ドミニカン修道院の敷地内にあったため、
ほぼ円形の原形をとどめたままで残されてあった。

移転した修道院の跡地は、今はアネックス・カワトクとなっている。



旧奥州街道松並木

旧奥州街道松並木と表示のある松並木だ。

保存樹林に指定されている。



黒石野

緑が丘から黒石野地区に入る。
片側2車線の立派な市道で、通称は「黒石通り」と呼ばれている。
正式名称は「本町通二丁目小鳥沢2号線」というようだ。

前方の白い標識には「黒石野長安殿」と書かれてある。
岩手互助センターのメモリアルホール、黒石野長安殿だ。

旧街道はこの道の左側にあり、旧勾配の細い道であったが、
今は消失し、新興住宅地となっている。



富士見台緑地

坂を上ると、頂上付近に富士見台緑地(盛岡市岩脇町)がある。
富士山が見えるのかと思ったら、岩手山(南部片冨士、2038m)のことだ。

岩手山は、別名巌鷲山の他、
姿が静岡県側から見た富士山に似ており、
その片側が削げているように見えることから「南部片富士」とも呼ばれるている。

また、樹間よりは、滔滔と流れる北上川が俯瞰できた。


(岩手県盛岡市緑が丘、黒石野、岩脇町)
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歩行略図
北上川〜盛岡城下〜高松公園〜黒石野



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