紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 529
一戸町一戸・大越田〜浪打峠一里塚


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一戸町


旧奥州街道、浪打峠

一戸大越田から浪打峠の坂を登る。

轍があるから、車でも行けるようであるが、クルマや人にも出会わなかった。



浪打峠登り坂

さらに坂登ると、大分山気が増してきた。

この辺から、歌枕で知られた「末の松山」とでも言うのであろうが、
もとより歌枕の地は明確ではない。
いわば、歌の世界の地名であるから。

また、末の松山は、ここ浪打峠との説の他に、
多賀城市八幡との説もあり確かでない。

興ざめではあるが、百人一首にも選ばれている一句

   「契りきな かたみに袖を しぼりつつ
    末の松山 波越さじとは    清原元輔」



浪打峠一里塚

浪打峠の頂上付近に一里塚が左右1対残されてある。
盛岡から北へ15番目の一里塚である。

街道が拡幅のために、周りより掘り下げられている為、
両側の一里塚が見上げる位置となっていた。


浪打峠一里塚西塚
  街道左側にある一里塚・西塚である。直径13m、高さ2mで、所有者は塩谷カネと記されてあった。住所は一戸字大越田だ。
浪打峠一里塚東塚
  街道右側にある一里塚・東塚で、直径12m、高さ2.8mだ。こちらの所有者は越水幸尚と記されてあった。住所は一戸字大道沢となっている。

(一戸町 一戸大越田 大道沢)
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