紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 13

内堀通り〜国会前庭



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江戸


内堀通り 国会議事堂

桜田門を出て、桜田濠沿いの内掘り通りを半蔵門の方に向かう。
快適な歩道で、ジョギングや散歩している人の多い所である。
この左側は霞ヶ関、そして永田町で官庁街となっているところだ。
桜田門の正面には警視庁があり、少し進むと左側に国会議事堂が見えてくる。

外装に花崗岩を張った国会議事堂は昭和11年に完成した。
大正8年に行われた新議事堂設計の懸賞公募で一位になった渡辺福三氏の
作品を元に大蔵省管財局が本設計したものである。

この議事堂の北にある国会図書館には、仕事で何度も来た事があり懐かしかった。



国会前庭、日本水準原点

国会議事堂の前の坂道の両側に広大な国会前庭がある。
坂道を挟んで左(南)側が日本庭園で、街道側の右側が西洋庭園となっている。

日本庭園は元霞ヶ関離宮のあったところで、
江戸時代は摂州三田藩九鬼家の上屋敷のあったところだ。
昔から霞関と呼ばれた景勝地であった。
しかし、昭和40年に住居表示区画整理で永田町に編入されてしまった。

西洋庭園は元陸軍参謀本部、陸軍省のあったところである。
江戸時代初期は加藤清正の屋敷があった。
加藤家改易の後は、江州彦根藩井伊家の上屋敷であった。
井伊直弼はここから登城の途中、桜田門前で襲われてしまった。

写真はその西洋庭園の一角にある、日本水準原点である。
全国の土地の標高を決める基準になるもので、昭和24年に設置された。
ここの標高が24.4140mである。

この建物(日本水準原点標庫)は同じく明治24年に造られたもので、
都の指定有形文化財に指定されているものだ。

時計塔 憲政記念館

西洋庭園の一番高い所に大きな時計塔が出来ている。
三面塔星型は、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものである。
昭和35年、尾崎記念館(現憲政記念館)建設時に、その施設の一環として、
塔の前面にある噴水池、花壇と共に造られたものだ。

時計塔の高さは、諺「百尺竿頭一歩を進む」の、努力の上にさらに努力して
向上するとの意から百尺(30.3m)より高くした31.5mに設定されたという。

時計は、時間を厳守した尾崎行雄を称えて、スイスから贈られたものであったが、
現在は国産品となっている。
なお、尾崎行雄は、第1次帝国議会から63年にわたり衆議院に議席を持ち、
憲政の擁護と発展に尽力し、95歳で亡くなった政党政治家である。

西洋庭園西側の憲政記念館は、日本の国会開設80周年を記念して、
昭和47年に設立されたもので、ここには内外の議会政治資料が収集され、
一般に公開されている。


(東京都千代田区永田町)
0906/0908
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