紀行写真集
甲州道中 ぶらり徒歩の旅 14
三宅坂〜半蔵門
Hitosh
三宅坂 |
国会庭園の前を抜けると、三宅坂となる。甲州道中で始めての登り坂である。 街道右側は内掘り(桜田濠)で、左側は最高裁判所庁舎、そして国立劇場と続いている。 三宅坂の謂れは、現在の最高裁判所の所に、三河田原藩主三宅家の 上屋敷があったからである。 天保10年(1839年)の蛮社の獄で犠牲になった家老渡辺崋山は、 この藩邸内で寛政5年に生まれ、最期までここに住んでいた。 三宅坂交差点のゼブラゾーンでは、白バイが見張りをしていた。 |
国立劇場 街道左側に見える国立劇場である。昭和41年、日本の伝統芸能の保存と振興を目的として設立されたもので、正倉院を模した校倉造り風の外観となっている。 |
半蔵門 |
三宅坂を登り切ると半蔵門前である。 写真は、桜田門(警視庁)方面を振り返って撮影したものだ。 江戸時代の半蔵門は、江戸城搦手(裏門)の重要な城門であった。 半蔵門の名は、服部半蔵正成が与力30騎と伊賀同心(伊賀忍者)200人を配下に、 家康より、この門の内側に屋敷を与えられ、警備にあたったことによる。 |
半蔵門前の深い濠 | 半蔵門正面 |
半蔵門前の濠は警護の為、深く掘り下げられていた。 また、この門前から甲州道中の四谷見附までは旗本の屋敷を配置し、 本城の背後を固めると共に、いざと言う時には、 八王子、甲府(天領)への避難道でもあった。 なお、現在の半蔵門は、皇居吹上御苑への出入り口となっており、近づくことは出来ない。 これで、江戸城の略内濠に沿って、和田倉門から広い江戸城の南側を半周したことになる。 甲州道中は、この半蔵門前で左折して、四谷見附を経て、 最初の宿場である内藤新宿に向かっている。 |
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