紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 49

府中市・宮西町〜片町



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府中市


府中宿長福寺

府中市宮西町、旧甲州街道右側にある長福寺。
時宗、古木山諏訪院長福寺。

寺伝によれば、寛喜2年(1230年)天台宗の寺として創建された古刹。
初めは勝福寺であったが、
その後正応年間(1288〜1292年)に、時宗遊行派長福寺に改まった。

新編武蔵国風土記には、番場宿長福寺と記載されている。



府中宿下河原緑道

府中、下河原緑道。
もとの国鉄下河原線の線路跡が緑道として整備されたところだ。

下河原線は、多摩川の砂利運搬を目的として
国分寺駅から南部の多摩川・下河原間に
大正5年に出来た軍用鉄道であった。

昭和8年、東京競馬場の開設に伴い、
競馬開催日に限り旅客業務も行うようになった。

その後、通勤者専用電車として利用されていたが、昭和48年に旅客業務が廃止
、昭和51年には貨物線も廃止となった。



高安寺山門

旧甲州街道左側にある高安寺山門。
この辺は、番場宿と呼ばれていたところだ。

高安寺は、もと武蔵国の国司であった藤原秀郷の館跡であった。

慶応年間(1338〜42年)、
足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つであった。

多摩川を望む段丘上のあるため、
境内は要害としてたびたび陣所となったため、
荒廃した。

その後、慶長年間(1596〜1615年)に
青梅の海禅寺の関州徳光禅師によって再興され、
曹洞宗高安寺と改められた。



高安寺境内

高安寺境内。

本堂は享和3年(1803年)に再建された、
木造平屋建寄棟造銅板葺となっている。



府中、弁慶坂

府中市片町。

弁慶坂は旧甲州街道の高安寺北側を東西に通る道で、
弁慶坂と刻まれた石柱が建っている。

高安寺に伝わる弁慶の伝説に由来するもので、
高安寺の堂の後にある古井戸から弁慶が水を汲み、
硯の水として、大般若経を書写したと伝えられている。

0909/1611

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