紀行写真集


甲州道中 ぶらり徒歩の旅 52

国立市・谷保



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国立市


谷保旧家

国立市の谷保に入ると、右側にある屋根付きの豪勢な棟門、黒塀の旧家。

左の赤い屋根の建物は、茅葺屋根にトタンを被せたようである。



谷保、関家かなどこ跡

国立市谷保の関家。
説明板によると、関家は、谷保鋳物三家(矢澤、森窪、関氏)の一家で、
江戸時代から明治維新まで鋳造を営んでいた。

梵鐘、仏像等の他に、日用品も製造していた。
現在も関家には、観世音菩薩像の鋳型が保存されている。



谷保天満宮前交差点

旧甲州街道谷保天満宮前交差点。

右は都道146号線(国立停車場谷保線)で、JR南武線の谷保駅、
そして国立市街方面となっている。

国立市は、武蔵野台地上にあり、元の神奈川県北多摩郡谷保村である。
明治26年に東京府に移管され昭和26年に現在の国立町と改称された。

国立の地名は拍子抜けする感じであるが、
JR国分寺駅と立川駅の中間に位置するため付けられた駅名からきている。



国立、谷保天満宮

旧谷保村である国立市谷保にある谷保(やぼ)天満宮。

延喜3年(903年)、菅原道真の三男・道武が、
父を祀る廟を建てたのが始まり。

東日本最古の天満宮で、
亀戸天神、湯島天神と合わせて関東三大天神と呼ばれている。

江戸時代の著名な狂歌に、

  「神ならば 出雲の国に 行くべきに 
   目白で開帳 やぼの天神」

とあり、ここから野暮天、野暮の語が生まれたとの事。

なお、谷保は今は「やほ」と呼ぶが、もとは谷保(やぽ)村であった。

「やほ」は、南部鉄道の駅名を「やほ」としたためで、
今では地名までも「やほ」と言うようになってしまった。



谷保天満宮、万灯行列

9月の谷保天満宮例祭では、この花万灯、古式獅子舞が催される。
この古式獅子舞は国立市の無形文化財に指定されている。

万灯行列は、各町会から一基ずつ参加し、
子供万灯も含め12〜13基が、現谷保駅ロータリーから
天満宮までを約3時間かけて勇壮に練り歩くとのことである。

なお、万灯(まんどう)は、他説もあるが、
たくさんのお灯明の意味で、釈迦が説法に赴かれる時に、
在家の信者が足元を照らし案内したことが始まりのようです。

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東府中駅〜府中〜谷保〜日野橋




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