紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 559
三戸町三戸宿・三戸大神宮〜八日町


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三戸町


三戸大神宮

三戸宿の右側にある三戸大神宮。
この辺の地名は、三戸町同心町字諏訪内である。

社殿によると、元亀元年(1570年)伊勢神宮より天照皇大神の分霊を、
著木山山頂に勧請したのが創祀とされる。

南部藩の祈願所として定められ、年とともに参拝者が増加したため、
寛永6年(1629年)に藩士藤枝宮内が
自分の屋敷(毘沙門館)内であるここに社殿を移した。

明和元年(1764年)、南部藩普請奉行奥山左衛門が藩命により、
壮麗な新社殿と神楽堂を造営した。

三戸大神宮は、以前は神明社と呼ばれ、
地元の人は今でも「神明さま」と呼んでいるようだ。



市神社

三戸大神宮境内にある市神社。

三戸宿二日町の検断を行なっていた、
川村惣太郎が町民の減税と市日の開設を命をかけて直訴し、
これが許されたことを称え、死後町民有志が境内に建立したものだ。

商売の神様(市の守護神)として、今でも信仰が厚い神社とのことだ。


思案の石
  三戸大神宮境内にある「思案の石」。説明によると、川村惣太郎が、この石に腰掛け、日々思案し単身直訴を決断した石とか。
  この石に腰掛けて、心静かに祈念すると願い事が叶うと伝えられている。
杉浦凱先生之墓
  境内の一隅にある「杉浦凱先生之墓」。もと会津藩の藩校日進館の教授で、その後三戸に移り住み明治4年に病没。教え子たちがこの墓を建立したものだ。


95三戸宿・八日町家並

三戸大神宮より旧街道に復帰する。
この辺は、三戸宿八日町である。

三戸の宿駅は、ここ八日町と、この先の二日町に置かれ、
1ヶ月交代で継立を務めた。

八日町の旧街道右側にはビジネス旅館三戸、
そして左側には穂積旅館があり、今でも営業しているようだ。

前述したが、前方の小高い山には三戸城があったところである。


(三戸町 同心町 八日町)
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歩行略図
三戸宿〜三戸駅〜南部町



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