紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 675
青森市・善知鳥神社
Hitosh
青森市 |
善知鳥神社拝殿 |
善知鳥(うとう)神社の拝殿。 由来によると、 善知鳥神社は、青森市が善知鳥村と呼ばれていたころ、 陸奥之国外ヶ浜鎮護の神として、第十九代允恭(いんぎょう)天皇の御世に、 日本の国の総主祭神である天照坐皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)の 御子の三女神を、善知鳥中納言安方が祀ったことに始まる。 その後、坂上田村麻呂の東北遠征の大同2年(807年)に再建された由。 |
善知鳥神社狛犬 |
善知鳥神社の立派な狛犬。 その左には、「善知鳥神社建築記念碑」が建っていた。 左の看板には、「中世へのいざない 能楽「善知鳥」の里」と大きく書かれてある。 「善知鳥」は、諸国を巡る僧が、陸奥国外の浜(外ヶ浜)へ行く途中、 越中立山に立ち寄る。 その時、一人の老人が現れ、外の浜に着いたら、 自分の妻と子の家に行き、 簑笠を手向けて、弔って欲しいと僧に頼みごとをする。 僧は、いい加減のことは出来ないと言うと、 着ていた着物の半そでをほどいて渡し、消えていった・・・ その老人は、一年前に亡くなった外の浜の猟師の亡霊であった。 善知鳥を殺して生計を立てていた猟師が、死後亡霊となり、 生前の殺生を悔い、そうしなくては 生きていけなかったわが身の悲しさを嘆く物語となったいる。 |
善知鳥沼 |
善知鳥神社境内にある善知鳥沼。 善知鳥沼は、かつては安潟と呼ばれ、荒川、入内川が流れ込み、 周囲は5〜6里もある潟(ラグーン)であった。 横内城主の堤氏が外敵を防ぐため、荒川の流れを変え、 堤川(前述)に流したことにより、次第に安潟は干上がり、干拓された。 善知鳥神社内にあるこの沼は、その最後の名残とされている。 |
弁財天宮 |
善知鳥沼に架かる太鼓橋を渡ると、弁財天宮がある。 寛永18年(1641年)に建立されたと伝えられ、 水の神として漁業を守護し、音楽や芸能を司る神、 福財の神として地元の人々から厚い信仰を受けていた。 |
龍神之水 |
善知鳥沼の畔にある龍神之水。 龍神は、水神、海神であり、御利益の湧き出る処として、 古くより水や海に関係する仕事、商売の人たちに信仰されてきた。 |
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