紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 31
白河・西小丸山〜稲荷山
Hitosh
小丸山分岐 |
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小丸山(こまるやま)の溜池の横を過ぎると、旧奥州街道は国道294号線(旧陸羽街道)から右に分かれる。 車の殆ど通らない道で、歩き旅にとっては、何んとも嬉しい道筋となる。 |
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西小丸山集落 |
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程なく、西小丸山(にしこまるやま)の小さな集落に入る。 右手に小丸山集会所のあるところだ。 |
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西大沼交差点 |
西小丸山の集落を抜けると、再び国道294号線に合流する。目の前の交差点は西大沼交差点である。この道(国道289号線)を左に行くとJRの新白河駅で、右は棚倉である。 旧街道は直進である。正面にある小高い丘は稲荷山である。戊辰戦争の激戦地として知られているところである。 |
松並・稲荷山 |
稲荷山 | 戊辰の役古戦場碑 |
西大沼交差点を直進すると、松並地区に入り、稲荷山の前に着く。 此の辺は戊辰戦争の白河口激戦地で、稲荷山の麓には多数の慰霊碑や記念碑が建っていた。 その一つが、右写真で「戊辰の役古戦場碑」である。 かつては、ここに松並木があり、南(手前側)は水田が開け、北はこの稲荷山の小丘であった。 慶応4年(1868年)、奥羽諸藩鎮定の為、 薩長、大垣等の西軍が大挙して、3方から白河(小峰城)を攻めてきた。 東軍の会津、仙台、棚倉の兵は城の南西の山地(写真左背後)に陣し、 是を迎え撃った。 ここで激しい戦いが行われ、4/25会津兵は一旦西軍を退けたが、 5/1再び来襲し激戦となり、ついに敗退となった。 そして小峰城も城郭は消失し落城となった。 稲荷山の麓のこの場所に長州藩3名、大垣藩3名の墓や、 会津藩主松平容保の題字の銷魂碑が建てられている。 |
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