紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 32
白河・稲荷山〜権兵衛稲荷神社
Hitosh
戊辰の役、白河口の戦い |
会津藩士戦死の墓 稲荷山麓にある大きな石碑。戦死の墓と書かれてある。戊辰戦争の会津藩士の墓で、ここ白河口の戦いで亡くなった藩士の墓である。 会津藩銷魂碑には、若年寄横山主税、海老名衛門他、304名の戦没戦士の名が刻まれている。 |
|
田邊軍次の墓 会津藩士田邊軍次は、戊辰の役、白河口での戦いで東軍が敗れたのは、後に白河県から白坂町取締りに任命された大平八郎が、西軍の道案内をしたためであると信じ、白坂宿鶴屋で八郎を斬殺し、自らもその場で割腹して果てた人物である。 八郎の養子が、義父の仇である軍次の墓(写真右)を建て葬ったという。 |
|
権兵衛稲荷神社 |
|
権兵衛稲荷神社本殿 古戦場の跡、稲荷山に登ってみた。上の写真が稲荷神社の参道で、左の写真は本殿である。 ここの狛犬は、阿吽の形相をした一対の狐であった。また、上の写真の左の灯篭の台石に明治初期の水準点の記号(几号水準点)があった。 |
権兵衛稲荷神社からの階段を下り、旧奥州街道に向かう。 この参道の先、約1.5m位の所には、日本最初の公園と云われる南湖公園があるところだ。 南湖公園は、白河藩主松平定信が享和元年(1801年)に作庭した公園で、大名庭園と異なり、四民に開放されている。国指定史蹟・名勝となっている。 鳥居を出ると旧奥州街道で、すぐ白河の城下町に入る。 |
前へ | 目次 | 次へ |
TOP | 北海道 | 東 北 | 関 東 | 中 部 | 近 畿 | 中国四国 | 九州他 |