紀行写真集


旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 34

白河・天神町〜中町



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白河城下町

白河・天神神社

月よみの庭(右手前端)の前から後ろを振り返った写真である。
写真中央奥の鳥居が天神神社だ。

右の建物は明治時代始めから続く和菓子の山木屋菓子店である。
江戸時代は蕎麦屋であったそうだ。
創業以来の「黒あんまんじゅう」や、
梅餡を小麦粉の生地で包んで焼いた「関の天神様」が人気とか。

今井醤油店
  天神町を進むと、旧街道沿いには往時の面影が残る家が散見される。
  写真は街道右側の今井醤油店である。
成田不動尊
  左側に厄除不動で知られた、東北三十六不動尊霊場の第34番札所である成田不動尊がある。正しくは真言宗智山派、成田山圓養寺(えんようじ)である。
  開山の時期は明らかではないが、享保14年(1729年)には火災で本堂が焼失したと伝えられている。
中町・枡形
  ここで、旧街道は枡形となっている。右正面の信号を左折し、すぐ右折とクランク形になっている。
  旧宿場特有の枡形道が残されているところだ。


関川寺

中町の枡形となっている道を右に入ると、関川寺(かんせんじ)がある。
中世、白川城主の結城宗廣が開山したと伝えられ、
天正9年(1581年)に現在地に移っている。

境内には戊辰戦争での東軍の戦死者供養塔がある。
慶応4年5月1日の戦いで、最大の激戦地となり、東軍の戦死者は682人にのぼったと言う。

また、赤穂四十七士の一人、中村勧助の妻の墓もある。
勘助の父が白河藩士であったからのようだ。

この辺は一帯は小峰城の南西の防衛ラインとして、
城下町特有の寺町となっているところである。
丁度、この関川寺の背後から谷津田川に沿って寺が集中している。

その中で、皇徳寺には小原庄助さんの、お猪口と徳利の形をした墓がある。
戒名が「米汁呑了信士」で
辞世の句が「朝によし 昼になほよし 晩によし 飯前飯後 その間もよし」とか。

まったくもって、そのとおりである・・・・


(福島県白河市天神町、中町、愛宕町)
0905/0909
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