紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 63
須賀川宿大町〜本町
Hitosh
勝誓寺 大町に入ると、街道左手には、元太子寺といっていた勝誓寺がある。延文5年(1360年)、岩代長沼城主新国上総守によって建立された寺だ。 勝誓寺境内には今でも聖徳太子を祀った六角堂があり、職人の神とされ崇められている。毎年1月(初太子)と7月(夏太子)には太子堂祭りが行われている。 |
大町よってけ広場 |
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街道右側に、大町よってけ広場がある。 広場の奥(写真右奥)には、地元須賀川市大町生まれの、 東京オリンピック・マラソン銅メダリスト円谷幸吉の大きな写真と足型、略歴が記されてあった。 まさに、地元のヒーローである。 広場内には東屋があり、丁度にわか雨であったので、ここで雨宿りを兼ねた休憩をとる。 街道ウォーカーにとっては、真にありがたい施設であった。 |
本町町並み |
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大町から本町に入る。かつての須賀川宿の中心部である。 盛岡市中央公民館蔵の「奥州道中増補行程記」によると、この右側に須賀川宿本陣があり、 左側に本陣を務めた藤井家があった。 その隣にあったのが、芭蕉が逗留したことで有名な、相楽等窮(さがらとうきゅう)の家が あったところである。 |
相楽等窮跡 今はNTT須加川となっているが、相楽等窮宅跡である。この相楽家の裏に可伸(かしん)庵があった処である。写真左端に簡単な説明板が設置されていた。 等窮は、須賀川宿を束ねていた相楽伊左衛門の俳号であり、中世の白河領主・結城氏の子孫で、須賀川の代官の家柄であった。 |
芭蕉はここに、4月22日から8日間逗留している。 等窮に、「白河の関いかにこえつるにや」と問われ、「風流の 初めやおくの 田植えうた」と詠んだところである。 |
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可伸庵跡 |
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相楽等窮の裏手(西側)にある可伸(かしん)庵である。 隠棲の僧・可伸が庵を結んでいたところで、芭蕉がここに訪れ、 「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗」 と詠んだところである。 なお、可伸は等窮の友人で、栗斎と号する俳人でもあった。 |
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