紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 66
須賀川・愛宕山
Hitosh
池上町坂(庚申坂) 十念寺、金徳寺の前を抜けると、急な下り坂となる。 古くは、須賀川町内から浜屋に行く古道で、坂の中頃に庚申塔があったことから庚申坂と呼ばれていた。 また、この坂の上に鋳物屋があり、出来上がった鍋等を転がし出来具合を確かめていたので、「鍋ころがし」とも呼ばれていたようだ。 |
須賀川(下の川) |
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池上町の旧坂を下ると、須賀川(通称下の川)の土手に出る。 須賀川は中世以来からの地名で、「川の洲のあるところ」の意とのことである。 その中心のこの須賀川は、阿武隈川と釈迦堂川の合流点南部の台地を流れる川である。 この須賀川の両側には、約1kmにわたり196本の桜が植えられている。 |
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愛宕山・翠ヶ丘公園 |
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須賀川に架かる見晴橋を渡ると、目の前に中世の須賀川城(二階堂氏)があった 愛宕山がある。 今は広大な翠ヶ丘公園となっている。 翠ヶ丘公園の一画となっている旧武家屋敷跡には、 歴史民族資料館と市立博物館が出来ている。 公園内には、新池、琵琶池があり、これが池上町の地名の由来となっているようだ。 なお、戦国時代に、須賀川城は今の須賀川市街(諏訪町)に移っている。 本丸跡が二階堂神社となっているところだ(後述)。 |
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愛宕山不動堂 |
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不動堂 愛宕山の急な階段を登ると、不動堂の近辺に古い常夜灯や石碑、石仏が並べてあった。この他、愛宕山の北麓の本丸跡には愛宕神社がある。 なお、愛宕神社が出来たのは江戸時代で、それ以前は、愛宕山は岩瀬山と呼ばれていた。 |
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