紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 69
須賀川宿北町〜岩瀬の渡し
Hitosh
北町 |
|
岩城街道を追分を越えると、須賀川宿北町に入る。地名の如く、須賀川宿の最北端である。 今はその痕跡は無いが、かつては黒門と呼ばれる木戸があり、 その門を潜ると、急な下り坂となっていたようだ。 江戸時代、奥州街道屈指の宿場町として栄え、独自の町人文化を築いた須賀川宿とも、 ここでお別れである。 |
|
岩瀬の渡し坂 |
|
旧道は、急な坂道となっている。傍の標識に「岩瀬の渡し坂」と書かれてあった。 今は車が通れるようになっているが、以前はもっと急な坂であったようだ。 この坂の下った所で、現釈迦堂川の土手に突き当たる |
|
岩瀬の渡し跡/釈迦堂川 |
岩瀬の渡し碑 釈迦堂川の土手の下に歌碑があった。字か掠れて読みにくかったが、 「陸奥の 岩瀬の渡し 水越へて みつまき山に 雲ぞかかれる」 と読めた。 万葉集に出てくる歌である。みつまき山とは歌枕で有名な「岩瀬の森」とのことである。 岩瀬は元の石背の国で、須賀川には国府があり、この近くを古代の東山道が通っていた。 |
釈迦堂川である。此の辺が、古代の東山道の岩瀬の渡しがあったところだ。 江戸時代中期頃からは、木製の中宿橋が架けられていた。 しかし、2年に一度は増水で流され、その度に架け直されていたようだ。 写真右端の橋は現在の中宿橋である。 釈迦堂川は、岩瀬郡天栄村の鬼面山(きめんざん、1021m)を起点とする川で、 須賀川のこの北側で阿武隈川に合流している川だ。 合流付近は、夏になると度々水害を起こすところであったようだ。 |
中宿橋 現在の中宿橋の袂には常夜灯が設けられていた。この橋を渡り、対岸の中宿に向かう。 次は旧奥州街道の間宿の滑川である。 |
前へ | 目次 | 次へ |
TOP | 北海道 | 東 北 | 関 東 | 中 部 | 近 畿 | 中国四国 | 九州他 |