紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 79
郡山・40小原田宿
Hitosh
水無月橋/南川 |
日出山宿の集落を抜けると、南(みなみ)川となる。 南川は、安積疏水の第5分水路として作られた用水路で、 この少し上流側に、用水路を挟んで遊歩道(南川渓谷)が出来ている。 安積疏水は、日本三大疏水の一つといわれ、水利が悪く、 不毛の大地であった郡山の安積原野に、 猪苗代湖から水を引くという大事業であった。 明治12年から始まり、明治15年に完成したものだ。 江戸時代は安積3万石であったのが、この安積疏水が出来てからは、 30万石の米が取れる肥沃な土地となった。 ここで収穫される「ひとめぼれ・こしひかり」は「あさか舞」というブランドで 全国に知られるようになったとのこと。 この南川を渡ると、磐城道(現国道49号線)の追分となる。 磐城道を右折し、少し先の阿武隈川の手前にある二渡神社の境内には、 街道筋の石碑、石塔が集められている。 |
水無月橋 南川に架かる橋は、なんと「水無月橋(みなつきはし)」となっているのには驚いた。 そして、6月(水無月)の万葉集として、 「をみなえし 咲く沢に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも」 中臣女郎 と刻まれてあった。 |
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小原寺 旧奥州街道40番目の宿場小原田(こはらだ)宿入口付近にある大邦山上ノ寺、小原寺(しょうげんじ)である。 小原寺の前の道で、微かに宿場特有の枡形の痕跡が残されていた。また、この小原寺の境内に、明治8年に創設された小原田小学校は、今も寺の北西部にある。 |
40小原田宿町並み |
小原田宿の中心街である。 立派な門構えの屋敷の中に、茅葺屋根の家が残されていた。 |
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