紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 83
郡山宿〜逢瀬川
Hitosh
阿邪詞根神社 |
街道左側に古社、阿邪詞根(あさかね)神社。 由緒によると、康平年間(1058〜1065年)、伊勢国阿坂より勧請し道祖社として 創建されたようだだ。 寛治3年(1089年)、源義家の副将軍として、前九年・後三年の役に出征した平忠通の霊を ここに合祀し、御両宮後御霊宮と改称された。 そして、寛政年間(1789〜1801年)、領主の丹羽氏の時に御霊大明神となり、 明治22年に今の阿邪詞根神社となった。 |
阿邪詞根神社境内 |
阿邪詞根神社の境内である。 写真右が神木で、その左にあるのが、 福島県重要文化財に指定されている石造法華曼荼羅供養塔と、 郡山市指定文化財の石造浮彫阿弥陀三尊塔婆である。 |
曼荼羅供養塔と阿弥陀三尊塔婆 説明によると、源頼義・義家が奥州平定後の治暦3年(1067年)に戦死者を弔うために建立されたもの。高さ2.4m、厚さ30cmで、塔の表面は仏の姿を表す梵字を配した曼荼羅が刻み込まれている。 わかりにくいが左下の柵の内側に高さ91cmの石造浮彫の阿弥陀三尊塔婆がある。鎌倉時代末期に作られたもののようだ。 |
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石塔群 道路を背にして、左より湯殿山、山神、そして月読命である。福島県では、湯殿山講が盛んであったようだ。 |
逢瀬川 |
郡山宿を抜けると、歌枕で有名な逢瀬川となる。 写真は逢瀬川に架かる安積橋より下流(東側)を見たものだ。 背後の高架は東北新幹線である。 逢瀬川は、郡山市逢瀬町の大滝渓谷が源流で、この先で阿武隈川に合流している。 この川までが旧郡山村で、橋を渡ると旧久保田村(現冨久山町久保田)となる。 次は旧奥州街道42番目の宿l場・福原宿である。 参考として、逢瀬川を詠んだ句を2、3列記する。 逢瀬川 袖つくばかり 浅けれど 君許さねば えこそ渡らぬ・・・・源重之 まだなれぬ 人にぞ今宵 逢瀬川 同じ流れを 思い渡りぬ・・・・李経集 浅香山 さも浅からぬ 敵とみて 逢瀬の勇む 駒の足並み・・・・源頼義 ほどなくも 流れぞとまる 逢瀬川 変わる心や 井堰ならん・・・・新続古今和歌集 今も川底は浅いが、当時も浅かったようだ。 |
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