紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 84
郡山・富久山町久保田
Hitosh
磐越西線 |
逢瀬川に架かる安積橋を渡ると、郡山市富久山町久保田(旧久保田村)に入り、 磐越西線のガードを潜る。 磐越西線は、郡山と会津若松経由新潟県の新津駅を結ぶ線で、 会津若松と新津間は「森と水とロマンの鉄道」という愛称が付けられている。 車両のラインカラーは写真のように茶となっている。 なお、富久山町は、明治9年久保田、福原、八山田の3ヶ村が合併した際に、 各村名から一字をとり、「福久山」とし、「富久山」と改められたようだ。 |
酒蔵・藤乃井 旧奥州街道左手に清酒藤乃井の(有)佐藤酒造店がある。 街道沿いに上質の井戸があり、その水を利用して宝永7年(1710年)に酒造りを始めたとのこと。当時の井戸は日吉神社境内に今でも残っているという。 また、酒名は二本松藩主丹羽氏が参勤交代の際に立ち寄り、蔵の敷地に咲く藤の花を見て「藤乃井」と名づけたようだ。 現在の蔵は100年ほど前に作られたもので、今の社長は14代目とのことであった。 |
日吉神社 |
街道左に日吉神社がある。 延暦20年(802年)、近江の日吉神社を分祀したものだ。 ここは室町時代の畠山氏の館跡で、ここの字(あざ)名は今でも山王館となっている。 天正16年(1588年)、久保田の合戦の時、伊達政宗がここに本陣を構えた。 久保田合戦は郡山合戦とも言われている。 伊達政宗、田村氏の連合軍と、佐竹、蘆名、岩城、二階堂、白河、石川各氏の 連合軍との戦いである。 伊達側が勝利するが、その時に伊達軍の伊東肥前守重信が討死する。 境内には福島県の重要文化財に指定されている16基の石造塔婆と、 仙台仏と呼ばれる、郡山市指定文化財の伊東肥前守碑が残されている。 |
16基石造塔婆 写真は、日吉神社境内にある16基の石造塔婆(県重文)である。 正安3年(1301年)と文保2年(1318年)のものもあり、福島県の重要文化財に指定されている。阿弥陀の種子(しゅじ、キリーク)とその下に草体の梵字がはっきりと判読できるものもあった。 |
阿弥陀寺 |
街道左側にある無量山阿弥陀寺である。 ここの銅鐘は、江戸神田の鋳工師、小沼播磨守藤原長政の作で、 享保2年(1717年)に造られたものだ。 郡山市の重要有形文化財に指定されている。 また、境内には永仁4年(1296年)作の板碑も残されているという。 |
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