紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 114
二本松・油井漆原〜油井川
Hitosh
旧街道/油井・漆原町 |
旧安達町油井に入ると、道の両側に高村智恵子に因んだ店が多くなった。 智恵子の生誕地である。 街道の右側には智恵子の森団地が出来、左手の鞍石山(鞍掛山)には 智恵子の杜公園が出来ている。 高村光太郎の「樹下の二人」の舞台となったところだ。 あれが阿多多羅山、 あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生れたふるさと あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫 それでは足をのびのびと投げ出して、 このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸はう・・・ 写真の智恵子物産店戸田屋の大看板には、ありし日の智恵子が描かれてあった。 下の写真は、街道右側の大看板を写したもので、 智恵子がなかなか魅力的な女性であったことが伝わってくる。 なお、鞍石山は伊達政宗が二本松の畠山氏を攻めた時に、片倉小十郎が ここに布陣し、石に鞍を掛けて休んだからとのことである。 |
智恵子写真 智恵子は福島高を卒業し日本女子大に進学している。明治19年生まれで、福島高等女学校を卒業して、日本女子大に進学。卒業後、当時としては珍しい洋画家の道を選んで、東京に残り、太平洋画会研究所で学び、雑誌「青鞜」の表紙絵などを描いていた。その時、高村光太郎と知り合ったようだ。 44歳の時、実家の長沼家が破産、一家離散となり、46歳の時、統合失調症の最初の兆候が現れ、53歳の時肺結核で亡くなっている。遺作として、紙絵千数百点が残されている。 |
智恵子生家 |
智恵子の生家である。 油井で酒造業を営んでいた長沼家で、屋号は「米屋」、酒銘は「花霞」である。 新酒の醸成具合を示す大きな杉玉が軒下に吊るしてあった。 |
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油井川 |
智恵子の生家のある油井字漆原の集落を抜け、しばらく歩くと油井川を渡る。 写真は上流側を見たもので、前方の橋は福岡橋で、写真右側は福岡の集落だ。 由井川は、安達太良山を源流とする河川で、阿武隈川支流である。 |
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