紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 133
福島・伏拝共楽公園
Hitosh
伏拝常夜灯 |
忠魂碑の下にある大きな常夜灯だ。 他にも多くの石塔、記念碑等が建てられてあるところである。 |
旧街道/伏拝 |
樹間の中、気持ちよい街道が続いている。 この辺で標高は130m位だ。 街道歩きで汗ばんだ身体には、気持ち良い初冬の風が吹いていた。 |
共楽園記の碑 街道右側の少し入ったところに大きな石碑がある。大正天皇の即位を記念して貴族院議員の鈴木周三郎によって、大正2年に建立されたものだ。 この他、公園内に明治天皇が行幸の際の「明治天皇伏拝野立所碑」や伏拝石、羽山嶽の石碑群などもある。 |
共楽公園 |
街道の両側が開け、共楽公園となっている。 アスレチック設備や、東屋、トイレ等が出来ており駐車場もあった。 旧街道歩きの旅人にとっては、まさにオアシスである。 福島市市制100周年記念事業の一環として、園内に178本の紫陽花を植栽するそうだ。 伏拝地区の花として定着させたい意向とのこと。 |
福島市街 |
共楽公園から福島市街が一望できる。 こうやって見ると、福島(信達)盆地がかつては湖であり、 信夫山(写真中央左)が湖の上に顔を出していて、吾妻山から「吾妻下ろし」が吹きおろし、 「吹島(ふくしま)」と呼ばれていたのが転訛して福島となったと 古くからの伝承(伊達風土記)があるのも理解できる光景だ。 しかし、もと、湖のようにも見えるが、地形的にはここは湖ではなかった。 古代には、この地域は岑越(みねこし)と呼ばれていて、現在の信夫山も 岑越山と呼ばれていた。 また東山道の駅名も岑越(現福島市森合町)であった。 安土桃山時代、信夫郡、安達郡が蒲生氏郷領となった時に福島と改称したようだ。 また、伏拝の地名は、信夫山や出羽三山をここから伏し拝んだことから、 伏拝(ふしおがみ)となったとの説が尤もらしい。 また、急な坂道で、這うようにして登ったからとの説もあるようだ。 なお、福島盆地は、福島市南部から伊達、保原、桑折、国見、梁川にかけて北東に広がり、 長さ30km、幅10kmの第4紀以降の陥没によって出来た構造性盆地である。 |
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