紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 137
51福島宿・柳町〜中町
Hitosh
福島宿・柳町 |
須川(現荒川)の信夫橋を渡ると、福島城の城下町、旧奥州街道51番目の宿場・福島宿で、 阿武隈川水運の要地であった。 福島城は、信夫の庄司佐藤基治が源頼朝軍と戦った文治5年(1189年)の頃は、 その一族杉妻(すぎのめ)太郎行長お居城で、杉妻城と呼ばれていた。 伊達氏が支配した頃は、杉目大仏とその堂宇がここにあったので大仏城と呼ばれた。 その後会津に入った蒲生氏郷の客将木村吉清の居城となり、 文禄元年(1592年)に改修して福島城と改称した。 その後、延宝7年(1679年)本多15万石、貞亨3年(1686年)堀田10万石、 元禄15年(1702年)からは板倉3万石の城下町として発展してきた。 写真左端は柳町の「奥州街道福島村八島屋紙店」との看板を掲げた老舗だ。 祝儀用品一式、結納品や熨斗紙等を扱っているようだ。 |
真浄院 街道左側の奥に真言宗室生派真浄院。信夫新西国三十三観音霊場の第2番で、札所本尊は千手観世音菩薩だ。 この信夫新西国三十三観音霊場は、阿武隈川流域に位置する福島市内の三十三ヶ寺をさしている。 |
真浄院は伊達郡霊山村に弘法大師によって創建された遍照寺が前身で、 慶長年間(1596〜1615年)に伊達政宗が同地に再建したものだ。 その後、上杉藩が現在地に移動した。 寺の「金剛・胎蔵両界曼荼羅」一対が福島市の有形文化財に指定されている。 この辺一体は城下町特有の寺町となっており、多くの寺院が集められているところだ。 |
町並み/荒町 柳町から、荒町に入る。この右手に福島城があった。今は福島県庁となっているところだ。 この辺もかつては枡形であったようだ。今でも道は拡幅されているが、枡形の面影が残されている。 |
福島宿・荒町 |
荒町の旗・袢天と看板を掲げた中山染工場。 創業190年と歴史のある店で、神社の幟や、大漁旗、横断幕や祭りの半纏などを 今でも作っている。 その右隣は「みそぱん元祖」と書いてある駒田屋本舗である。 江戸時代創業の和菓子屋で、福島藩御用商を務めていた。 明治9年の明治天皇東北巡業の際は、ここで和菓子や飲料水を献上した由。 その井戸は今も使用されているとのこと。 店の前に三代目当時の店舗の様子を描いた絵図と、 明治天皇拝領の片口の写真が掲げられてあった。 |
康善寺 福島宿荒町から中町に入ると、左手奥に康善寺(清明町)がある。親鸞の弟子明教が黒岩村に開山したのが始まりである。 その後上杉氏の家臣で福島郡代の古川善兵衛が、故郷である信州から康楽寺の僧を招き中興開山させ、現在地に堂宇を再建し寺名を康楽寺と善兵衛の名前から一字をとって康善寺とした。 今でも、境内には古川善兵衛の墓が残されているとのこと。 |
前へ | 目次 | 次へ |
TOP | 北海道 | 東 北 | 関 東 | 中 部 | 近 畿 | 中国四国 | 九州他 |