紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 159
国見・泉田〜54藤田宿
Hitosh
国見町入口 |
前方に交差点が見えてきた。 旧街道と、県道46号線(白石国見線、七ヶ宿街道)との交差点である。 |
堰下古墳入口 国見町に入るとすぐ左側に堰下古墳がある。直径約20m、高さ3mの円墳で、古墳の表面には石が敷き詰められている。 出土した埋葬品より古墳時代中期の5世紀後半と推定されている。 (写真は進行方向から背後を振り返って撮影したもので、矢印が右向きとなっている) |
54藤田宿入口 |
県道46号線を渡ると、街道は一番右の道である。 藤田宿入口の枡形で、この先で今度は左に曲がっている。 左の道はJR藤田駅方面である。 |
54藤田宿 |
枡形を抜けると、奥州街道の54番目の宿場・藤田宿である。 藤田宿は代官のいる桑折宿と違い、旅人や付近の人にとって気楽な宿場であったらしい。 そのためか、付近の人や半田銀山の人が旅籠や湯屋に入り浸りと賑やかであったようだ。 嘉永5年(1852年)で、旅籠は14軒もあった。 なお、この藤田宿は、今は伊達郡国見町(くにみまち)藤田となっている。 昭和29年に、藤田町と森江野、大木戸、大枝、小坂の4村が合併して国見町となってからだ。 町名の由来は藤田宿の北東にある厚樫山(あつかしやま、289m)が 国見山とも呼ばれていたことによる。 この厚樫山は以前は阿津賀志山と書き、源頼朝が平泉の藤原氏を攻めた時の古戦場である。阿津賀志山の戦いは奥州合戦最大の激戦地であったようだ。 その時築かれた二重掘と呼ばれる防塁壁が今でも残されている。 この合戦で手柄を立て、伊達郡を賜ったのが中村朝宗で、 常陸国より移住し、伊達氏と称した。初代伊達氏である。 |
藤田宿中心部 |
藤田宿の中心部である。 前方の信号を左折すると、観月台公園、そしてJRの藤田駅がある。 |
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