紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 162

国見・藤田〜森山




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国見


旧街道/藤田・町尻

藤田宿を出ると、街道はやや下りとなる。

左端の山が 鎌倉軍と藤原氏が戦った奥州合戦の古戦場である
厚樫山(あつかしやま、289m)だ。

文治5年(1189年)の奥州合戦の際は、この山一帯が戦場であったようだ。
その時造られた二重堀(阿津賀志山防塁)が、山中から山麓にかけて現存している。

現在は、山頂まで車道が出来、山頂には展望台が設けらている。


滝川
  滝川を渡ると、国見町大字藤田から大字森山地区に入る。正面の橋は国道4号線だ。
  滝川は福島県と宮城県境の馬頭山(678m)南東麓を源流とする川で、阿武隈川に流入している。
石母田民家
  旧街道は国道4号線に一時合流する。写真は街道左側の立派な民家である。この背後が硯石山で、頂上に弁慶の硯石のあるところだ。
  弁慶がこの石で墨を摺り、義経に同行しようと駆けつけてくる武士の名を記したと伝えられている。


国道4号線、森山西上野分岐

国道四号線に合流し少し歩くと、旧街道は右側の細い道となる。
この写真右手に国見町立県北中学校のあるところだ。
住所は国見町大字森山字西上野である。

国見町の北側が、宮城県の白石市となる。
県北中学校は、文字通り福島県の北端の中学校である。

昭和25年に当時の各町立小坂中、藤田中、森江野中が合併して
県北中として開設されたのが始まりである。
昭和36年には、大木戸中、大枝中国見分校を統合して
国見町唯一の中学校となっている。



旧奥州街道/森山

県北中学校の横を通り、国見町大木戸に向かう。
やや下り坂の車の殆ど通らない快適な道であった。

この辺の標高が77mである。



(福島県国見町藤田、石母田、森山)
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歩行略図
JR桑折駅〜54藤田宿〜55貝田宿



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