紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 184

58白石宿




Hitosh



白石

古道標
  白石城から白石高校の東側を通り、前回の街道歩きの中断箇所の田町交差点に復帰する。
  写真は街道沿い左側にある白石中学校前にある古道標である。石柱には「一等道路東京街道」、「此方二等道路下戸沢駅ニ出ル米沢街道」と刻まれている。かつてはここは米沢街道の追分であった。
  白石では、旧奥州街道は、明治になってからは東京街道と呼ばれていたようだ。
旧北寺碑
  街道に沿って左側に旧北寺前と書かれた標柱がある。白石城の南東側にあり、この辺一帯が寺町であった名残であろうか。


白石宿枡形

写真は、旧街道を右折した道で、この先の信号で今度は左折となる。
所謂宿場入口特有の枡形となっているところだ。



枡形途中の左側にある「名産白石温麺」と大きく書かれた看板のきちめ製麺所だ。
看板商品は「つりがね白石湯麺」で、吉見家は城主の片倉小十郎の家臣として、
長い間仕えていた事から、片倉家の旗印である「つりがね」を商標として使うことを
許されたとのこと。

湯麺は、元禄2年(1689年)、短ヶ町検断の鈴木浅右衛門が胃弱の父親のために
「油を使わずに作った麺」を食べさせたところ胃病が治った。
その話を聞いた片倉小十郎が、その息子の温かな心を讃え湯麺(うーめん)と名付け、
鈴木家に御用温麺の製造を命じたのが始まりと言う。
今では、すっかり白石名物となっている。

白石の特産品を白石三白(しろいしさんぱく)というそうだ。
紙子(かみこ)、葛粉(くずこ)、そしてこの湯麺である。
これは「安永風土記」にも刈田郡の特産として挙げられているものだ。

紙子は紙製の衣服で、この辺は寒冷で綿栽培には向かず重宝されていた。
特に柿汁で染めて揉んだ「紙絹」が最上品であったとのこと。



白石宿町並み

枡形を抜けると、奥州街道58番目の宿場・白石宿に入る。
街道には「本町大通商店街」と書かれてあった。

白石宿は、本町、中町、百人町(長町)、亘理(わたり)町、短ヶ町、新町の六町からなり、
長さ13町(1.4km)、家数は約200軒であった。

この左側に城を囲むように武家屋敷があり、その外側が宿場であった。



(宮城県白石市南町、本町)
1004/1009

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます

前へ 目次 次へ

歩行略図
白石城〜白石宿〜宮宿



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system