紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 185
白石宿・本町〜中町
Hitosh
当信寺 白石宿入口の枡形を抜けると、右手に変わった山門の寺、功徳山当信寺がある。 この山門は、もと白石城の東口門を移築したもので、二階中央の表と裏に大きな眼象窓(げんじょうまど)が設けられている。 藩政時代、この門の2階に太鼓を置いて時を知らせたため、音の響きを良くするために開けた穴とのことだ。 |
当信寺は、慶長2年(1597年)の創建で、正しくは浄土宗、功徳山当信寺という。 本尊は室町時代に作られた阿弥陀如来像で、大坂天王寺より譲り受けたもの。 境内には白石老人の墓や、真田阿梅・大八の墓がある。 前者は、経歴その他は不詳であるが、身分に関係なく人々から崇敬されていた 仙人のような人であったとか。 後者は説明板によると、元和元年(1615年)大坂夏の陣で、真田幸村は 自分の最後を覚悟して、知勇兼備した敵将(徳川方)の片倉重長(2代目、当時は重綱)に 子供を託した。 重長は、幸村の遺児阿梅、阿菖蒲、おかね、大八達を白石城の二の丸で密かに養育した。 そして、阿梅は重長の後妻に、阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早世、 大八は片倉四郎兵衛守信と名乗り、伊達家に仕えた。 その阿梅と大八の墓である。 |
本町大通商店街 |
白石宿本町の旧街道である。 この道は本町大通商店街と呼ばれている。 写真左の店は、白石名物の温麺(ううめん)の製造元「佐藤清治製麺」である。 創業は明治16年の老舗で、開業以来ここで温麺を作り続けているとのこと。 |
中町交差点 |
正面に中町交差点が見えてきた。 この信号を右折すると約250mでJR東北本線の白石駅である。 この交差点は小さな枡形となっており、その先が中町となる。 左端のシャッターがしまっている店は明治9年創業の陶器店しなのやだ。 |
すまる広場 |
中町交差点の北側に広々としたすまる広場がある。 洒落て「すまiる広場(すまいる)広場」とも呼んでいるようだ。 もと、和菓子の老舗、高甚本店のあったところで、現在は綺麗に整備され、 駐車場やイベント会場として活用されている。 左側の屋敷門は、壽丸(すまる)屋敷の門である。 |
壽丸屋敷 |
壽丸屋敷は、明治中期の豪商・渡辺家の屋敷で、白石市を代表する当時の建物だ。 数棟の土蔵や、書院屋敷、主屋などがそっくり残されている。 現在は渡辺家から寄贈され、TMOの白石まちづくり株式会社が管理している。 TMOとはTown Managemennt Organizationの略で、 中心市街地における商業町造りを運営・管理する機関をいう。 この屋敷や店倉を有料で貸与して、さまざまなイベントが行われているようだ。 |
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