紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 210
岩沼市・64岩沼宿
Hitosh
本町枡形 |
桑原の枡形を左折し、少し歩くと、今度は本町の枡形なる。 この辺が、奥州街道64番目の宿場岩沼宿入口となる。 この先の丁字路で、街道は再び左折となる。 また、この丁字路は江戸浜街道追分であった。 |
浜街道追分 本町の枡形で、街道は左折である。右は江戸浜街道(旧国道6号)であったが、追分を示す痕跡や標識は無かった。 |
64岩沼宿町並 |
本町の枡形を抜けると、奥州街道64番目の宿場・岩沼宿の中心部に入る 江戸時代、岩沼宿は北町、中町、南町、新町の4町よりなる宿場であった。 岩沼は水陸交通の要衝で、仙台藩領内でも大きな宿場として栄えていた。 近世初頭からの馬市でも賑わった町である。 |
竹駒神社参道 |
左側に竹駒神社参道。 竹駒神社は日本最大稲荷の一つで、陸奥国府を鎮護するため創建された古社だ。 農業、養蚕、馬産、職人の神として信仰されてきた。 また、歌枕「武隈(たけくま)の松(二木(ふたき)の松)」の地でもある。 岩沼の古名が武隈の里であった。 |
芭蕉句碑 |
竹隈神社境内にある芭蕉句碑と謙阿句碑。 芭蕉は、元禄2年(1689年)、曽良と共にみちのくの旅に出て「おくのほそ道」を著した。 その中に「武隈の松」を訪れた章がある。 さらに「曽良随行日記」に竹駒明神が登場してくる。 その時の句「佐くらより 松盤(ば)二木を 三月越し」が写真左側の句碑(二木塚)に 刻まれてあった。 右側の謙阿句碑(名月塚)は、寛政5年(1793年)、芭蕉翁の百年忌法要を記念して 建立された句碑である。 句碑には、謙阿の句「朧よ里(り) 松は二夜の 月丹(に)こ楚(そ)」と刻まれてあった。 謙阿は古内家の給士で、芭蕉6世とまで言われた俳人とのことだ。 |
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