紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 220

名取市・増田宿〜増田神社




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名取市

増田宿・旧家
  街道左側にある旧家。庄司氏宅で、門より中を見ると、庭に石碑が建っていた。
  碑には、「明治天皇増田御膳水」と書かれてあり、当時の井戸が残されてあった。明治9年と14年の東北巡幸の際にこの井戸の水を献じたとのこと。


増田公民館、衣笠の松

名取郡の北方検断を務めた菊池家屋敷跡で、今は増田公民館となっている。
菊池家は本陣でもあり、また益田宿の肝入も兼ねていた。

手前の松は屋敷にあった樹齢数百年の大傘の松(アカマツ)で、
益田市指定天然記念物になっている。

明治9年、明治天皇東北巡幸の折、ここが行在所となり、
随行した木戸孝充が詠んだ歌

「大君の 立寄りましし 陰なれば 衣笠の松とこそ いうなかりけり」

から、衣笠の松と命名したとのこと。



増田神社
増田神社拝殿
  増田神社は、文安年間(1444〜1448年)、南朝方の菊池武光の一族である菊池豊後が奥州に下向した際、故郷の大和国城上郡笠山の社より分霊して名取市手倉田に祀ったのが始まりである。

その後、永世年間(1504〜1520年)にこの地に奉遷した。

もとは笠山大荒神と称していたが、明治になり笠山神社となり、
さらに明治42年の町村合併で、各町村に所在した神社を合祀して、
現在の増田神社となった。


(宮城県名取市飯野坂、増田)
1005/1012

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