紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 242

松島・五大堂


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松島町


松島五大堂

松島のシンボルと言われている五大堂で、国の重要文化財に指定されている。
海岸から三つ目の島の上にあり、橋を渡って行ける様になっている。

五大堂は、大同2年(807年)坂上田村麻呂が東征のとき毘沙門堂を
建立したのが始まりである。

その後天長5年(828年)に慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞厳寺)開基の際、
「大聖不動明王」を中心に「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、
「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになった。


日本三景碑
  五大堂への橋の袂に、日本三景碑が建っている。御馴染みの陸奥松島、丹後天橋立、安芸宮島である。
  宮島、宮津にも同じような三景碑があったことを思い出した。
  碑の裏を見ると、平成6年に建立されたもので、「日本三景観光連絡協議会創立二十周年記念」と刻まれ、当時の松島町長、宮津市長、宮島町長の名前が刻まれてあった。


透かし橋(縁結び橋)

海岸から二つ目と三つ目の橋が、透かし橋となっており、
橋から下の海面が見えるようになっている。

五大堂への参詣には、身も心も乱れのないように脚下を良く照顧して、
気を引き締めさせるための配慮とのこと。



五大堂


現在の五大堂は、慶長9年(1604年)に伊達政宗が再建したもので、
東北では最古の桃山建築である。

単層宝形造の屋根が特徴で、堂四面の蟇股(かえるまた)にはその方位に対して
十二支の彫刻(下写真)が配されている。

内部には、一木彫平安朝初期の作風をとどめる五代明王像が安置されており、
33年に1度開帳されるとのことである。



(宮城県松島町松島)
1005/1101

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歩行略図
JR松島海岸駅〜松島湾〜五大堂〜瑞厳寺〜JR松島駅



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