紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 255

富谷町境〜あけの平


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富谷町

富谷町入口
  仙台市泉区から富谷町に入る。写真正面の建物は富谷町のシンボルにもなっている富谷配水池のシンフォニー・タワーである。
  定時に、このタワーより音楽が流れ、最上階は展望台となっている。

富谷町は仙台市の北隣にある自治体だが、すっかり仙台のベッドタウン化している。
富谷町の中心部は「しんまち地区」で、江戸時代に設置された旧奥州街道の
富谷宿を中心に発展してきた。

富谷の地名は、町内の熊谷地区に10の神社があったことから
十宮(とみや)と呼ばれていたのが転訛して富谷となったようだ。

なお、現存するのは10社の内、日吉神社だけとのこと。


富ヶ丘溜池
  街道左側に富ヶ丘溜池ある。背後は鷹乃社地域である。大きな新興住宅地が広がっているところだ。
  この鷹乃社は、ここに伊達藩の御鷹場があったことに由来する。


鷹乃社団地入口

左側丘陵部には鷹乃社団地が広がっている、。
この辺一帯は仙台の郊外型戸建て用住宅団地となっている。

仙台と富谷町の境界は旧宮城郡と黒川郡を分ける分水嶺となっており
富谷町内を流れる河川はすべて北流(写真前方)し、大和町の吉田川に流入している。

富谷町は富谷丘陵と吉田川の複数の支流が造り出した河川沿いの
谷底平野に発展した街である。

最近になって、丘陵部が開発され、大規模な住宅団地が造成されている。

平成の大合併期には、仙台市との合併案や
黒川郡内での合併案もあったが、単独町制を取ることになった。

理由は、近い将来、単独市制人口要件の5万人に達成するので、
それを待って市制を施行する道を選んだとのこと。



あけの平団地南入口

あけの平団地南入口の交差点だ。
この右側に、やはり大きな新興の戸建て用住宅地が広がっている。

昭和58年より分譲が始まり、富谷町の人口増加の先駆けとなった団地の一つで、
団地内には小学校(あけの平小)も出来ている。



西川、旧街道

富谷町に入り、富谷宿までの間は、部分的であるが国道4号線に沿うように
旧街道が残されている。

写真はその一部で、左を流れている川は吉田川支流の西川、右側が国道4号線である。
旧街道はこの西川沿いを、奥州街道70番目の宿場・富谷宿まで続いている。



(宮城県富谷町富ヶ丘、鷹乃社、あけの平)
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