紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 266

大衡村大衡・石神沢〜松本


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大衡村

大衡

国道四号線を横断すると、広い田圃の中の一本道となる。
かつての奥州街道は、この道の右側(東側)80m位のところにあったが、
今は田圃(次写真)となっているのでこの道を進むことになる

正面の広大な丘陵地帯が、地名の由来となった大衡村の中心部である。
この辺の標高が20mで、丘陵地は70m前後の丘陵となっている。

道路の右側が大衡字石神沢、左側が大衡字大柳地区となっている。



石神沢・田圃

街道右側の田圃で、この田圃の前方の畦道辺りを旧奥州街道があったようだ。

大衡村の耕地の70%が水田である。
広々とした気持ちの良いところであった。


善川
  街道は吉田川支流の善川に架かる松本橋を渡る。この川名は、もとは「悪川」と呼ばれていたが、今は「善川」と180度変わっている。
  写真は善川上流部を見た写真である。


旧街道・大衡字松本

善川を渡り、少し歩くと丁字路となる。
その丁字路を右折し、すぐ左折すると、かつての奥州街道となる。

旧奥州街道は、それこそ丘陵まで一本道であったが、
今は道が付け替えられクランク状となっている。

この辺の地名は大衡字松本地区で、大衡の丘陵地帯の直ぐ傍である。
この先左側に昌源寺があり、ここから丘陵地帯への坂道は昌源寺坂と呼ばれていた。

旧奥州街道は、この先は写真前方の丘陵地帯を歩くことになる。


昌源寺
  街道左側にある昌源寺。かつてはこの手前に一里塚があったという。
  昌源寺は、永禄4年(1561年)に開山された寺を、寛永12年(1635年)伊達家家臣戸田定隆が現在地に開基したとのことだ。

(宮城県大衡村大衡字石神沢、松本)
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