紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 275

大崎・72三本木宿南町


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三本木宿

鳴瀬川

鳴瀬川の土手に上がってみた。
広大な河川敷で、前方(下流側)には国道4号線の三本木大橋が見えた。

鳴瀬川は山形県との境界にある舟形山(1500m)を源流とし、
東松島市で石巻湾に流入する一級河川である。


古道標
  街道に戻り少し進むと、鳴瀬川の土手の傍に古道標があり、「節婦の墓 此より二十丁余 坂本村天性寺中にあ里」と読めた。
  調べてみると、ここから左方向(西方向)の天性寺(三本木坂本字館山)に「節婦辰女之墓」があった。
  貞女の鏡と言われた鈴木辰女の霊廟が残されている。辰女は正徳4年(1714年)、夫の無実を晴らすために、自分の命と引き換えに免罪を願って自害し、時の藩主伊達吉村は深く感銘し碑を建立し手厚く葬ったという。


72三本木宿南町

鳴瀬川沿いに進み、国道4号線の下を潜ると、
旧奥州街道72番目の宿場三本木宿南町に入る。

三本木は、中世大崎氏の家臣の居城桑折城の城下町として発展した。
大崎氏が奥州仕置きで改易されると、渋谷氏も連座して、この桑折城は廃城となった。

江戸時代になると、奥州街道の宿場町として整備され、さらに鳴瀬川の
舟運の河岸としても重要な位置を占めるようなった。

特に、この川沿いの南町は鳴瀬川舟運の拠点として発展し、
藩米を保管する御蔵場が立ち並んでいた。
本陣は鳴瀬川の北側の北町にあった。

なお、三本木の地名は、この鳴瀬河岸に三本の榎があったことからと言う。


古道標
  街道右側に、「清水湊不動尊入口」と刻まれた大きな道標があった。
  鳴瀬河岸は清水湊と呼ばれていたのであろうか。
八坂神社
  三本木宿南町の右側に八坂神社がある。三本木どんと祭(裸詣り)は無病息災・商売繁盛を祈願して、毎年冬に行なわれている行事である。

(宮城県大崎市三本木南町)
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歩行略図
大衡村駒場戸口〜71三本木宿〜北町



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