紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 282
大崎・74荒谷宿
Hitosh
国道4号線 前方に国道4号線が見えてきた。旧街道はここで国道を横断して反対側となる。 |
74荒谷宿入口 |
国道を横断すると、旧奥州街道74番目の宿場・荒谷宿となる。 荒谷宿は戸数50弱で、旅籠も商人宿が1軒だけの小さな宿場であった。 |
荒谷宿本町 |
古川荒谷新町から本町に変わる。この辺が荒谷宿の中心部であった。 左側に荒谷簡易郵便局があった。庄屋のあったところらしい。 手前はの店は石堂商店(酒店)で、右側に平野会館(会館、仕出し)、秋山内科と続くところで、 今も古川荒谷の中心部となっている。 |
斗瑩稲荷神社入口 |
荒谷宿の出口付近の斗瑩(とけい)稲荷神社参道入口である。 「剣聖千葉周作おいたちの地 斗瑩神社参道入口」と大きく書かれてあった。 地元では「とっけさま」と呼ばれている神社で、境内に千葉周作の屋敷跡がある。 幕末の江戸の剣客として知られた周作が幼少時代を過ごしたところだ。 斗瑩神社の社伝によれば、文治3年(1187年)、源義経が奥州平泉へ下向の際、 吉野の山に良く似たここ斗瑩山に立ち寄り、静御前遺愛の鼓の調べに聞き入っていると、 どこからともなく白狐が現れ、鼓は自分の亡き母の皮で作ったもので、 是非返して欲しいと泪ながらに訴えた。 そして、斗瑩山の岩穴に入り込んだので、義経は弁慶に命じ祭壇を築かせ、 鼓を捧げ一行の武運長久を祈願したという。 歌舞伎「義経千本桜」の有名なくだりである。 |
田尻川 荒谷宿の北端を流れている田尻川だ。写真上流右手には伝説のある化女沼(けじょぬま)のあるところである。 伝説はいくつかあるが、もっともらしいのは、沼の畔に住む長者の美しい娘が沼の水を鏡にして化粧をしたので化粧沼となり、転訛して化女沼という説であろう。 田尻川を渡ると、古川荒谷から古谷小野地区と変わる。 |
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