紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 325

一関・真柴中田〜千刈田


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一関・真柴
旧奥州街道
  新山川の橋を渡り、国道342号(旧国道4号線)から離れ、JR東北本線の下を潜ると、線路に並行して旧奥州街道が部分的に残されている(左側の道)。  


瑞川寺

その旧奥州街道を進み、真柴千苅田(せんがりた)地区に入ると、
左側に瑞川寺(ずいせんじ)がある。
ここから一関城に向かっては、寺が集められて寺町となっているところだ。

曹洞宗曹源山瑞川寺は、天和2年(1682年)、田村藩重臣鈴木和泉守重信により、
田村藩士代々の菩提を弔う為に開基された寺だ。

巨大な常夜灯が、街道を見下ろすように建てられてあった(右写真)。


左知子句碑
  境内にある左知子の句碑である。「残菊に 日当たるを見て 家に入る」と読めた。
  左知子は本名横山幸子で、大正14年生、一関高等女学校を卒業。昭和54年に句集「女の絵」を出版。説明碑によると、「人」岩手支部結成、一関俳句教室を開催し指導に当たったようだ。
衣関順庵先生顕彰碑
  同じく境内ある衣関順庵(きぬどめじゅんあん)先生顕彰碑。
  藩医で蘭方医であった武部清庵(せいあん)の門人の一人で、高弟だった父・衣関甫軒の著した「眼目明弁(がんもくめいべん)を刊行、自らも文化14年(1817年)に「諸国妙薬集」を残している。


(岩手県一関市真柴字中田、千刈田)
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歩行略図
80有壁宿〜岩手県境〜一関城址〜JR一ノ関駅



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