紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 335
一関・82山目宿
Hitosh
山目石塔 配志和(はいしわ)神社の過ぎると、宮下町から山目町に変わり、旧奥州街道82番目の宿場・山目(やまのめ)宿となる。 山目宿入口付近左側に小さな祠と金比羅大権現と彫られた古い石塔が街道に面して建てられてあった。 |
82山目宿 |
この辺が山目宿の中心で、山目宿上町(現山目町1丁目)である。 前方の交差点付近は県道14号線で、気仙沼方面への 今泉街道(棚瀬街道)である。 |
山目宿旧家 街道左側の旧家である。ここが山目宿の問屋跡である。かつてはこの家の前から東に行く道が今泉街道であった。 家の壁に「東邦リファイルハウス梶vと書かれた看板が掲げてあった。 リフォーム会社であるが賃貸物件も扱っているようだ。 |
中央公民館前 |
街道右側に中央公民館があり、その前に「照井堰改修の先覚者、 柏原清左衛門末裔屋敷跡」と書かれた標柱がある。 照井堰は、山目宿の通りに沿うように並行して、北に流れている用水路だ。 照井堰は、磐井川から取水して、一関及び平泉の平野部を灌漑する用水路の総称で、 山目地区の水路は、磐井川厳美渓の上流小河原地区から引かれたものだ。 平安時代末期、藤原秀衡の命で工事を始め、明応2年(1493年)に完成したものが 最初と伝えられている。 写真左側の「中里公民館」と書かれた看板の右手の大きな石塔は、「蠶(蚕)祖神」である。 この辺も、養蚕が盛んだったようだ。 |
旧家、胡風荘 |
街道左側にある、立派な門構えの旧家。 門の横に「経世の政治家棚瀬軍之佐先生邸宅」と書かれた石柱があった。 調べてみると、棚瀬軍之佐は憲政会(総裁加藤高明)の党員で、大正8年12月に 憲政会幹部として選出されている。 |
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