紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 349

平泉町・中尊寺〜金色堂覆堂


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平泉町

中尊寺表門
  参道右側にある中尊寺本坊表門は江戸時代初期の建立で、伊達騒動で土佐に流された一関藩主伊達兵部邸の門を、万治2年(1659年)に移したと伝えられている。


中尊寺本堂

表門を潜ると、正面に山号関山、天台宗東北総本山の中尊寺本堂がある。

中尊寺は、この山全体(関山)の総称で、本寺である中尊寺と、
山内にある17の支院からなる一山寺院となっている。

この本堂は、明治42年に再建されたもので、阿弥陀如来を本尊として、
その両脇には、天台宗総本山比叡山延暦寺から分けられた「不滅の法燈」が灯っている。


不動堂
  参道右側にある不動堂。本尊は右手に降魔の剣を持つ不動明王だ。邪悪を切り、左手には羂索(けんじゃく)を持ち、救いを求める人を搦めて救い上げてくれるという。
峯薬師堂
  もと経塚山の下にあったものが、元禄2年(1689年)にこの地で再建された。本尊は金箔で覆われた薬師如来座像。
  入口の幟には多数の目の絵が縦に描かれ、右側の絵馬にはひらがなの「め」と書かれていた。特に目の疾患にご利益があるようだ。


金色堂新覆堂

中尊寺金色堂新覆堂。
旧覆堂にかわり、昭和37年の金色堂修復の際に新たに建築されたのが、
現在の金色堂覆堂で、古覆堂も保存、公開されている。

金色堂は、天治元年(1124年)奥州藤原氏初代清衡により造営された
中尊寺創建当初の唯一の遺構である。

中尊寺を代表する建築物にして、奥州藤原氏の描いた平泉「浄土思想」の中心的建造物だ。
金箔張りで、柱や壁面に施された金・銀・蒔絵、螺鈿細工等、平安末期の工芸技術の
粋を集めて造られている。

堂内部には、本尊阿弥陀如来坐像を中心に、ハスの花を持った観音菩薩立像、勢至菩薩立像、左右に三対ずつ地蔵菩薩立像、そして持国天、増長天と配されている。

中央の須弥壇には初代清衡、左右に基衡、秀衡と奥州藤原氏最期の主、
泰衡の遺骸が安置されている。



(岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関)
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歩行略図
JR平泉駅〜柳之御所跡〜中尊寺〜瀬原〜白鳥



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