紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 383
金ケ崎・三ヶ尻
Hitosh
三ヶ尻川口田 |
金ケ崎町根岸から宿根川を渡り、三ヶ尻地区に入ると右側が大きく開ける。 刈取り前の稲穂の波が、黄金色に輝き、気持ちの良いところだ。 東日本大震災があったが、この地区は今年も豊作のようだ。 |
三ヶ尻奥州街道標識 道路の左側に、未だ新しい「奥州街道」と書かれた白い標識があり嬉しくなる。 旧街道歩きにとって、街道に関わる標識は実にありがたい。地元の自治体の方に感謝である。 |
三ヶ尻川口田一里塚 |
右側(東側)にのみ残されている旧奥州街道の一里塚だ。 大きな杉の上部は、綺麗に切られ、朽ちないように保護されている。 説明によると、この杉は樹齢400年とのことだ。 塚と杉の木の組み合わせで、現在も残されている珍しい例とのことで、 金ケ崎町の指定史跡となっている。 なお、仙台領では目印の木は杉であったが、南部領では榎か槻であった。 左端のバス停は、北都交通田園バス「加藤商店前」と書かれてあった。 |
三ヶ尻清水端 |
街道沿いのコスモスが満開であった。 旧街道歩きは、これからが季節的にも快適な時季である。 右前方は、かつて丸子館のあったところである。 北上川西岸の金ケ崎段丘の東端に位置し、標高57m、 沖積地からの比高約10mで、ここに丸子館が立てられていた。 丸子館の規模は東西約200m、南北約150mで、内部は堀で方形状に 区画されていたようだ。 |
丸子館跡入口 上の写真の右側の林となっているところに「丸子館入口」の標識が建っていた。この先が古代の丸子館があった処である。 室町時代葛西氏一族の江刺氏の分家絵さ氏七郎清義が館主となり、三ヶ尻と名乗った。三ヶ尻氏は天正18年(1088年)の秀吉の奥州平定まで約150年間も続いた。 |
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