紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 400
北上市・飯豊〜花巻市境
Hitosh
成田丁字路 成田の坂を上り詰めたところが丁字路となっている。尾根に沿うように、旧街道はここで左折となっている。 |
成田一里塚 |
丁字路を左折すると、目の前に大きな檜と、かつての原形をとどめた一里塚が 目に飛び込んでくる。 江戸時代の一里塚が、昔のまま対で残されているのは、全国でもこの成田一里塚と、 一つ手前(江戸より)の二子一里塚(前述)のみである。 日本橋より129里(506.6km)、盛岡まで10里(39.3km)。 右側(東側)の塚の高さは、塚の裾より3.2m(道路面より5.5m)で、 左側(西側)は、高さ3m(道路面より5.5m)である。 南部藩の奥州街道の幅員は、江戸幕府の小海道の基準である3間(5.46m)となっている。 因みに大海道は6間(10.92m)であった。 |
成田石塔群 |
成田一里塚を過ぎると、海道は下り坂となり、左側に多数の石塔が集められてあった。 観世音や、湯殿山、出羽山、湯殿山等の石塔が多かった。 |
北上市、花巻市境界 |
坂を下ると、正面が開けてきた。 左側に成田小学校のあるところだ。 前方の横断歩道のところで、北上市から花巻市に変わる。 花巻市は元稗貫(ひえぬき)郡花巻町で、昭和29年に湯口、湯本、矢沢、宮野目、 太田の5村と合併して花巻市となった。 そして、平成18年に大迫町、石鳥谷(いしとりや)町、東和町と合併している。 |
花巻 |
花巻市境標 花巻市境には花巻市と書かれた標識があった。旧奥州街道86番目の宿場・花巻宿のあるところである。 |
前へ | 目次 | 次へ |
TOP | 北海道 | 東 北 | 関 東 | 中 部 | 近 畿 | 中国四国 | 九州他 |