紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 440
盛岡市・南仙北〜仙北
Hitosh
小鷹処刑場跡 左側に盛岡藩の小鷹の御仕置場(処刑場)跡があり殺生場とも呼ばれていた。 写真は、天保7年(1837年)、法華寺観明院日誠上人が、刑場で断罪に処せられた亡霊の供養鎮魂のため、刑場跡に建立したお題目が刻まれた供養塔である。 |
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燃料店 さらに進むと右側にある旧商家。薪や炭を扱っている細田燃料店で、店先に薪が高く積んであった。 この辺は、足軽同心組の屋敷が配備され、宿場入口特有の枡形もあったと言うが、その痕跡は無かった。 |
仙北町駅口交差点 |
仙北町駅口交差点である。 この信号を左折すると、約150mでJR東北本線の仙北町(せんぼくちょう)駅がある。 仙北町駅は大正4年開業、東京より533.5kmの駅である。 |
仙北町駅前通 前方の建物が、JR仙北町駅だ。仙北町駅は隣接する次の盛岡駅とは1.8kmしか離れていない。当時鉄道院総裁であった原敬が生家の最寄り駅として作らせたからだと言われている。 また駅名の仙北町は、秋田県仙北郡にあった仙北町(せんぼくまち)からの移住者が多いことに由来する。 |
南部家27代藩主南部利直(1576〜1632年)が、出羽仙北郡(秋田県)からの 移住者をここに居住させたのが始まりである。 盛岡の城下町の中心部から北上川を挟んで独立している仙北町は、 奥州街道や山形街道の出入口として、北上川の舟運(しゅううん)による 物資の集散地として、栄えて来た町であった。 特に米屋や造り酒屋、藁物屋(草鞋、縄等)が多かったようだ。 |
長松寺 |
仙北町にある長松寺。 元浄土宗の長昌寺であったが、寛永年間(1624〜1644年)宗旨を曹洞宗に改め、 寛政9年(1797年)に現在の萬峰山(まんぽうざん)長松寺(ちょうしょうじ) と改称されたようだ。 盛岡三十三観音の十二番として千手観世音が安置されている。 また、境内の鎮守堂に秋葉三尺大権現が祀ってある。 寛政年間(1789〜1800)に仙北町を火災から守るために 長松寺の立鶴和尚が火防鎮守で知られた遠州秋葉神社の 秋葉三尺大権現の分体を勧請したものである。 |
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